昭和28年6月26日前日来の豪雨により、26日午前8時40分濁流は、堤防の2ヶ所が決壊し、極めて危険な状態であったにもかかわらず、最後まで監視を続けていた石丸久光氏は、救出しようとして駆けつけた青年団長宮島幸一氏と共に、一瞬の間に孤立した堤防上に取り残され、本流に呑まれ、宮島氏は幸いにも九死に一生を得たが、石丸氏の英姿は遂に見つけ出すことができなかった。しかし7月1日増田部落南方で発見され、村民一同は厚く霊を弔い遺徳を偲び記念碑を建立した。昨年(平成15年)50回忌をむかえた。
昭和28年6月26日前日来の豪雨により、26日午前8時40分濁流は、堤防の2ヶ所が決壊し、極めて危険な状態であったにもかかわらず、最後まで監視を続けていた石丸久光氏は、救出しようとして駆けつけた青年団長宮島幸一氏と共に、一瞬の間に孤立した堤防上に取り残され、本流に呑まれ、宮島氏は幸いにも九死に一生を得たが、石丸氏の英姿は遂に見つけ出すことができなかった。しかし7月1日増田部落南方で発見され、村民一同は厚く霊を弔い遺徳を偲び記念碑を建立した。昨年(平成15年)50回忌をむかえた。