『第4回嘉瀬歴史の道ウォーキング』を11月23日に行いました。
今回も『嘉瀬まちづくり協議会』の『福祉健康部会』と『ふれ愛文化部会』のコラボです。
風も無く、とっても天気が良くウォーキング日和です。
参加者も40名強の参加者でした。
嘉瀬町の歴史を知って頂くために、ガイド資料を作成配布しました。
今回は事前に、新町の長老、家永さんと久米さんにお話を伺い作成です。
ウォーキングする前に新町公民館で家永さんに新町の歴史(新町の生い立ち、神社の歴史、新村の祭り、生活環境、地形・交通の要所、人物等)について話をして頂きました。
1372年前(647年大化3年嘉瀬津、扇町が海岸線)鑑真和上の上陸は、この頃だと云われています。
それから南へ干拓は広げられ新町(新村)が最後にでき、嘉瀬町では一番若い集落である。
昔の様子が良く判ります。
まずは、皆さん佐賀弁のラジオ体操で体をほぐします。
笑いも出てテンションも上がります。
今回のコースは、新町公民館→大神宮(新町)→沖神社(新町)、→光明庵・地蔵(新町)→丸目の渡し・江藤新平乗船の地 →天満宮(新町)→大立野の渡し・地蔵→小々森大明神(新町)→新町公民館です。
新町は東西南北に神社が配置されています。(他の集落にはほとんど類がないそうです)
東:沖神宮(大神さん、沖神大明神)、西:稲荷神社(小々森さん)、南:天満宮(てー神さん)
北:大神宮です。東西南北に神社を祀り、集落の安全、無病息災を願ったと云われています。
まず、北の大神宮を参拝しました。
次に沖神社です。
昔の銀座通り【久保田及び芦刈の人たちが佐賀ん町へ行く時の近路の重要な拠点。
西の渡し場所(大立野の渡し)から、東の渡し場所(丸目の渡し)までの主道路を新村の銀座通りと呼ぶ人もいた。
人通りが絶えなかったそうです】入り口あたりに、光明庵・地蔵があります。
更に、南西へ、橋を渡って、新町から隣町へ。
丸目の渡しに江藤新平の乗船の地があります。
丸目の渡しの所に馬観音様がありました。
天満宮、大立野の渡し、小々森大明神とウォーキングして行きました。
大立野の渡しでは当時の渡し板を見せて頂きました。
今回も散策をして、地元嘉瀬にこんなものがあるんだと、新しい発見がたくさんでした。
自分の目で見てみないと判らないものがたくさんですね。
先人達が暮らして、歩んできた町、また、新しい発見を皆さんと一緒に楽しみたいと思います。