校舎の南側を流れる川の一部を半円形(5・6m)のすり鉢状にコンクリートで固め、そのへこんだ部分に川の水を引き込んだ施設が「足洗い場」である。 当時、子どもたちは休み時間や体育の時間は運動場を駆け回ることが常であり、また、登下校も裸足で通学する子どもたちも多く、機能的な運動靴やお洒落な通学靴など無縁の時代であった。
そのため、休み時間や運動終了時、登校後教室など校舎に入る際は、砂や泥で汚れた素足を川でバシャバシャ洗う施設が必要であり、その場所が足洗い場であった。 当時は木造校舎の東南端から約20m南の校庭の一角にあって、その場所は当時と変わりなく足洗い場の名残は今でも感じとれるが、当時の施設は今ほど綺麗でスマートに整備された代物ではなく質素で雑なコンクリート造りであった。(この記事は鍋島校区住民の情報提供によるものです。)