THE「年末高栁」っていったい何? 思われるでしょう。
高栁では、年末の第1日曜日を期して「餅つき会・記念碑まつり・親睦会」の三つの大きな行事を住民挙げて一日で行っています。これをまとめてTHE「年末高柳」と自治会長の百武が勝手に命名しました。いかがですか。
まあそれは、ともかくとして、今年も12月8日行いました。今回はその様子を一つずつ紹介します。
①「餅つき会」
私たちが小さかった頃、冬になると「ほんげんぎょうすっばい」と言って炭俵を燃やして「暖」を取っていたことが思い出されますが、写真のような「2つのかまど」を作って思いっきり薪を燃やします。セイロを使いもち米を蒸すわけです。かまどの周りには、いつの間にか人が集まり話が絶えません。早速お神酒も上がっています。赤い顔は何のせいでしょうか。光っています。みんな心の中まで暖かくなっているのでしょう。
もち米も蒸し上がり、いよいよもちつき始まりました。最初は幼い子がお父さんお母さんに助けらえもちつきです。このもちつき会は子どもをメインにしています。すくないこどもたちでしたが、みんなよく頑張ってくれました。仕上げはご覧通りおばちゃんの力、炸裂です。日頃のストレス解消でしょうかいいもちがつき上げりましたよ。いいふれあいになりました
②「記念碑まつり」
高柳には古くから「記念碑まつり」が地区挙げて行われてきました。写真にある記念碑に祀られている「川副卯三郎」の功績を讃えて行うまつりです。ご紹介します。
川副卯三郎氏は江戸時代末期嘉永3年(1850)高柳で生を受けます。幼いころは神童といわれ、勉学に励み、その後、家人と共に農作業に精勤し、その働きぶりは周囲の者に目を見はらせるものであったそうです。その話を聞かれた藩主(鍋島直正)からは賞辞を賜るほどのものでした。
やがて家業を継ぎ田畑の耕作に励みます。その精励ぶりはさらに並外れたものでありました。後に選ばれて村会議員となり、高柳地区の世話は勿論、西与賀町の発展に多大に寄与しています。
川副卯三郎氏は昭和3年12月8日79歳で亡くなられておられます。そのため12月に行われているのでしょう。
氏の没後、高柳の住民によって、その徳を讃え記念碑を建て、毎年お祭りを行なうようになりました。「高栁の二宮尊徳」と呼ばれる方もおられます。偶然にも今年はその命日に記念碑まつりを行うことが出来ました。この祭りだけが高柳に伝承し存在している歴史的な行事と言っても過言ではありません。「地元の偉人」として大事にしている行事です。
これはどこでも行われている行事でしょう。1年間の活動を振り返りながらこれからのことを考える。大切なひと時です。公民館を埋めつく数、50名を超える方々に集まっていただき語らっていただきました。年に一度行うこれも大切な行事です。