「西与賀郷土かるた」は、令和2年度 西与賀まちづくり協議会との共催で作成しました。
西与賀の歴史・文化・自然など、後世に残していきたいものを55選び、それぞれによみ句と取り札(写真・絵)を考えました。
NO.6 題材『厘外かわら』
「厘外かわら」の説明
この地で盛業をきわめた「かわら」焼きは明治以来のことで、それ以前は開祖「味志家」の独占場であったことは同家(厘外中)の文書・系図によって察知することができる。 これによれば、味志家は清左衛門が藩祖鍋島直茂に仕え「かわら」焼きの独占を許されたということである。 豊臣秀吉の名護屋築城に際しては、その「かわら」の納入を命じられている。 明治以降は味志家の独占はなくなったが、各事業者ともセメント瓦の出現により廃業している。