「西与賀郷土かるた」は、令和2年度 西与賀まちづくり協議会との共催で作成しました。
西与賀の歴史・文化・自然など、後世に残していきたいものを55選び、それぞれによみ句と取り札(写真・絵)を考えました。
NO.30 題材『森保之助』
「森保之助」の説明
(1852年~1901年)
藩政期には本藩の蔵入地であった西与賀周辺も、版籍奉還・廃藩置県という全国的な改革の中で新たな行政区分が設けられた。
大区・小区制、郡区町村編成報などを経て、明治22年(1889)に施行された市制・町村制では、佐賀郡厘外村、高太郎村、相応津及び厘外津の今津分を合わせて西与賀村が成立した。
森保之助は、平松出身で村発足から明治30年12月まで村長を務め、日新小学校今津分校と相応小学校を統合し高太郎に西与賀尋常小学校を設置するなど、村発展の基礎固めを行った。