春日さが学「伊東玄朴の生涯」を開催しました。

春日公民館

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1月29日(金)、佐賀大学地域学歴史文化研究センター特命教授 青木歳幸 氏をお招きし「伊東玄朴の生涯」と題して話していただきました。
講座では伊東玄朴の一生についてわかりやすく説明をしていただき、あらためてその偉大さを理解することが出来ました。
伊東玄朴は幼名を執行勘造といい、神埼の仁比山村に生まれました。その後長崎でシーボルトの鳴滝塾で蘭学を学びました。シーボルト事件が発生し、勘造も事件に関与しますが、勘造の能力を重視した佐賀藩の配慮により、藩士伊東家の養子となることで連座を免れました。以後伊東玄朴と名乗ることになりました。
伊東玄朴は鍋島家の匙医(ジイ)となり、天然痘の予防接種(牛痘種)に成功するとともに、江戸に蘭学塾「象先堂」を開きます。また、神田にお玉ヶ池種痘所を設立、種痘の普及にも努めました。同時に将軍家の奥医師となり最高位の蘭学医となりました。
お玉ヶ池種痘所は西洋医学所(幕府直轄)となり、明治になって東京大学医学部となりました。

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