1560年増田で生まれた。茂安は、武士の家に生まれ竜造寺隆信・鍋島直茂・勝茂の家来として、多くの戦いに参加して手柄をたてた。
また城づくりなどにすぐれた技術を持っていたので多くの築城【大阪城・江戸城・名古屋城など】に参加し、平和な世の中になると土木・河川、堤防、水路などの修理や工事(治水工事)・塩田にも力を出した。特に知られているのが、石井樋や筑後川の堤防である。佐賀平野では、石井樋をはじめ、桃の川の馬頭・千栗土居・蛤水道など多く残っている県内の各地でつくしてくれた茂安に感謝して兵庫、北茂安など地名としてのこされている。お墓は西田代の本行寺にある。(増田)