江戸(えど)時代(じだい)初期(しょき)の頃(ころ)、三日月村(みかづきむら)居住(きょじゅう)領主(りょうしゅ)杉町(すぎまち)備中(びっちゅうの)守(もり)が仏教(ぶっきょう)に帰依(きえ)して木(きの)角(つの)に移(うつ)り今日(こんにち)にいたる。二代(にだい)藩主光(はんしゅみつ)茂(しげ)が妹(いもうと)と備(びっ)中守(ちゅうのもり)のために、堂宇(どうたか)を改築(かいちく)し境内(けいだい)を拡張(かくちょう)して、田畑(たはた)を寄進(きしん)し寺格(じかく)を改(あらた)めた。門前(もんぜん)には1万部塔(まんぶとう)、2万(まん)部塔(ぶとう)の経(きょう)碑(ひ)がある。江藤(えとう)新平(しんぺい)は佐賀(さが)の乱(らん)で土佐(とさ)甲(こう)の浦(うら)で捕(とら)らえられ、明治(めいじ)7年(ねん)4月(がつ)13日(にち)佐賀(さが)城内(じょうない)において処刑(しょけい)され、3日後(かご)親友(しんゆう)の相良宗蔵(さがらむねぞう)が蓮(れん)成寺(じょうじ)に移(うつ)した。彼(かれ)の遺徳(いとく)を偲(しの)びお参(まい)りする人(ひと)が続(つづ)いた。(木角)
もっと見る