鍋島小学校校庭に現存する「古(いにしえ)を偲ぶ残像」~忠魂碑の再建立

鍋島公民館

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20200910105923-d59e2209cc838fcb64a1211ba4ea7e8b97f76e7e.jpg 忠魂碑は郷土本「ふるさと鍋島」によると、当初大正13年戦没者戦病死者慰霊の為に建立され、太平洋戦争終戦後一旦破壊されその後再建されたと記されている。碑文の揮毫は、陸軍中将金谷範三との記名もあり、建立当時の世相が偲ばれるものである。

 思い返すと石碑のある校庭の一角は、かつて鬼ごっこやかくれんぼ等絶好の遊び場になっていて、再建立時の様子は今でもぼんやりと蘇ってくる。石碑自体は破壊を免れ現地に横倒しの状態で仮置きされていたものを「28水」前に再建立されたもので、その長さは約5m、重さは何十トンもある石柱の重量物である。

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(昭和28年水害時の写真より。左奥に忠魂碑が見える。)

 脳裏に残った微かな記憶を辿ると、石碑に揮毫された碑文に金箔を貼り付ける作業は、横倒しの石碑を囲んで風よけのため一張りの蚊帳が張られ、その中で、金箔職人が静かに丁寧に貼り付け作業をしていた姿が思い出される。この忠魂碑、これからも住民の慰霊の象徴として、子ども達や住民を校庭の片隅で静かに見守り続けてくれるだろう。

 小学校の校庭に存在する遺物や名残はいずれも積年の風雪に耐え、学校に通う子ども達と共に時代を越えて存在してきた思い出深い歴史の証人である。そのその整備目的等につながる過去を知る人も年々少なくなる中、過去の古い遺物か残骸と単に捨て去ることなく、先人たちの苦労や知恵が偲ばれる部分は可能な限り今後に引き継ぎ、さらに、未来への伝言として僅かでも残したいとの思いから、今般不十分ながら簡略整理したところである。(この記事は鍋島校区住民の情報提供によるものです。)