「ひと 鍋島」
今回は鍵山俊明さん(養正会(ようせいかい)薬局代表)にお話を伺いました。薬剤師の業務と並行して様々な地域活動にも長年貢献されています。先日も鍋島まちづくり協議会主催の「昭和28年鍋島水害写真集読書感想文コンクール」の審査員長を務められました。(以下敬称略)
――先日は作文コンクールの審査お疲れ様でした。如何でしたか?
鍵山:鍋島小学校と鍋島中学校の協力を得て、それぞれ4年生と2年生が応募した作品を審査するのですが、今年は全200点の中で甲乙つけがたい作品が多かったですね。昭和28年に九州北部で発生した大雨洪水(通称28(にじゅうはっ)水(すい))の鍋島の記録をまとめた冊子「昭和28年鍋島水害写真集」は小学校の防災の授業で取り入れられています。親御さんの中には子供さんの作文に取り組む様子をみて地域の歴史を知るという方もいらっしゃるでしょう。いつの時代にあっても歴史を読むことの大切さを思います。
――鍵山先生ご自身は28水の記憶はありますか?
鍵山:私は当時小学校二年生で、幸いにも比較的被害の小さかった森田に住んでいました。個人的にも被害は少なかったのですが、父は医師でしたので役場の人が診療のために船で迎えに来られていたのを覚えています。
――鍋島には長くお住まいですか?
鍵山:私の父は久保田出身で、昭和26年にお誘いを受け病院を移転して開業しました。そして戦後にできた唐津及び佐賀の保健所の初代所長を務めました。 父は幕末維新の時代の佐賀藩の先進医学に深く興味をもち、研究を重ねて郷土史及び医学史の本を数冊残しています。また佐賀と福岡を中心に医師の仲間を募り"医学史研究家"を結成しました。私もそれを引き継ぎ、鍵山稔明として「佐賀医人伝」「佐賀薬学概史」「佐賀の蘭学者たち」などを編集しなおし、再出版してきました。
――鍵山先生もお父様の影響で医療の道に進まれたのですね。
鍵山:そうなりますね。父は医師業のかたわら、地域に貢献する意味で行政の公衆衛生事業に協力したり、鍋島公民館館長を引き受けた時期もありました。当時はこの地域は"鍋島村"と言われており、鍋島小学校の前身である"養正(ようせい)小学校"の一室に公民館の事務室があったようです。館長のときに郷土の歴史書「鍋島町史」「郷土の偉人、成富兵庫」等を執筆しています。
――鍵山先生が立ち上げられた"たんぽぽ会"もまさにそのようなお父様の利他の精神を引き継がれているのですね。
鍵山:私も薬剤師として医療に身を置くものとして地域に何等かの役にたちたいという想いがありました。平成14,5年頃は少年犯罪が多く、地域の子供をみんなで守り育てていくという気持ちで、学校やPTAはもとより様々な人たちの協力を得て今日まで続いています。現在は犯罪件数こそ減少しましたが、家庭環境等で孤独、孤立を感じている子供がいないわけではありません。また私自身保護司を25年間務めましたが、これは私の小学校のときの恩師に推薦を受けて引き受けました。地域の子供たちを地域で育てるという意識が大切だと思っています。
――医療者として、また地域活動のリーダーとして、今の時代をどのように見ていらっしゃいますか?
鍵山: 社会の変化に伴い地域力が弱まってきていることを感じます。一昔前は地域全体で自然と力を合わせてやることが多かったですね。例えば鍋島は農村でしたから農作業は共同でする必要がありました。大人は地域の子供の顔と名前、兄弟関係なども全部知っていたし、関係が近かったと思います。この弱まった地域力をこれからどう進化させていくかということが公民館のみならず地域に住む一人一人が考えることだと思います。私自身は、やはり子供の存在が一つの大きなカギになるのではないかと考えています。次代を創っていく子供たちは何よりも大切な存在です。
――健康維持に気を付けていることは?
鍵山:特にありませんが、私の場合は年を重ねても何か社会的な役割をもつということは心に緊張感を保つという意味で、健康維持につながるものと思っています。またお酒は薬と思ってほぼ毎晩晩酌していますよ。
――最後に今後の豊富をお聞かせください。
鍵山:医学史研究会を継続しながら、子どもたちが郷土にほこりを持ち、意識を高く持てるようなこども向けの本が作れたらいいと思っています。
――楽しみにしています。本日はお話ありがとうございました。
聞き手:鍋島公民館館長 岸川いづみ
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