今回は鍋島開成遺族会/会長、NPO法人元気・勇気・活気(三気)の会/副理事長、佐賀市グラウンド・ゴルフ協会/理事、鍋島グラウンド・ゴルフ愛好会/世話人、をされている重松武文さんにお話を伺いました。(以下敬称略)
――最初に「鍋島開成遺族会」について教えてください。
重松: 昨年まで山口貢さんが会長をされていたのですが、お亡くなり、後任として私が会長を、市議会議員の千綿正明さんを副会長兼事務局長、光安吉野さんを副会長兼女性部長、古川善己さんを会計とし、体制を強化しました。主要な行事として毎年3月に"戦没者慰霊祭"を鍋島小学校のグラウンド南にある忠魂塔前で執り行っています。遺族中心の約100名の会員がいますが、高齢化していることもあり戦没者の甥姪や孫などもいます。遺族会は全国的な組織で、今年は戦後80年にあたり20年に一度開催される佐賀県戦没者追悼式は、10年前倒しで10月に佐賀文化会館で開催されました。今の日本の繁栄は戦争で戦った先人たちの尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけないとの思いで、戦争のつらさや平和について語る"語り部活動"などもしています。
――重松さんご自身の戦争体験というのはどういうものですか。
重松:私が2歳の時に父親が戦死、母が一人で私を育ててくれました。農家でしたが機械などは無かったので、鎌(かま)と鍬(くわ)の農作業は女手にはそれは大変な重労働で、親戚やご近所に応援を頼んでいました。ただ、当時は"手間返し"という風習があり、農業機械を持ってきて1日手伝ってもらったら、母はお返しに鎌と鍬をもって10日間ほど農作業に行っていました。とにかく母親だけの家庭はどこも大変な時代でした。こういう環境でしたから、私は中高生のころから土方などのアルバイトをしながら学校に通っていました。
――学校を卒業されてからはどういう仕事をされたのですか。
重松:高卒で町役場に就職し3年ほど働きましたが、どうも性分に合わず、何か世のためになることをしたいと思い、警察官になりました。佐賀県警に38年勤務、最後は武雄署長で定年退職し、その後は南佐賀自動車学校の校長などの仕事をしました。その間に自治会長も2回ほど引き受けました。2回目の自治会長の時、集会所の建設を4年かけて完成させました。
――有機(オーガニック)農業の生産者としての現在のお話を聞かせください。
重松:有機農業を始めたきっかけは、佐賀市の農業振興課主催の"有機栽培チャレンジコース"にH24年に参加したことです。その後、この研修を指導していた"三気の会"に入会し今に至っています。皮肉にもあまり好きではなかった家業の農業に戻ったかたちです。現在私の畑はJAS認証を取得し、三瀬と鍋島に4.5aくらいの土地で野菜やたけのこ、菊芋などを一人で作っており、市内のスーパーでも販売しています。
――有機栽培は手間暇がかかるのでしょうね。
重松:化学肥料や農薬を使用しないせいか、虫と病気対策には苦労します。虫対策には臭いの強いお酢や胡椒を野菜の周りに撒いて寄り付かないようにすることもありますが、どうしてもアオムシ、ヨトウムシはひとつひとつ手作業で駆除する必要があります。中でもヨトウムシは夜行性なので夜の作業になります。
――近年オーガニック野菜の販売も少しずつ増えてきているようですが、あまり広がらない理由は何でしょうか。
重松:2020年の東京オリンピックで、食べものに人一倍気を遣う一流選手の要望に国内産で賄えないことがニュースになりましたね。翌年に農林水産省が"みどりの食料戦略"を策定し、この中では農薬や化学肥料の使用を減らし有機農業の導入を促進する、とうたわれています。個人的にも、有機農業の推進を行政にも働きかけしてきましたが、現在の流通システムや一般消費者の動向などを見ると、有機農業が拡大するにはなかなか厳しいものがあると感じています。私は特に育ち盛りの子どもたちには、農薬など使っていないオーガニック野菜を食べさせたいと思っています。
――「三気の会」について教えてください。
重松:現在会員約50名のNPO法人で、「有機農業研修」「ほんなもんぼ体験学校」「ごみくい/農業用水路クリークに生息する淡水魚及び土壌の成分の分析作業」を実施しています。会では有機農場を巨勢町に所有しており、ここで採れた野菜も販売されています。ごみくいは年に1回堀を干して実施しています。これには佐賀大学の学生の淡水魚や外来種などの研究にも役立つので、若い人たちと一緒に行っています。三気の会にご興味のある方はHP https://sankinokai.jp/ からご連絡ください。
――鍋島とはどういう地域でしょうか。
重松:鍋島はとても住みやすくよい地域だと思います。ただ歴史的には、昔から住んでいる人が多い増田、森田、蛎久、植木を中心とした"本村"と言われる地域と、佐賀大学医学部が設立されたことで発展した"新興地域"にはそれぞれ特色があると思います。本村は地域のつながりが強く、新興地域には近所とのしがらみがあまりないのが魅力と感じている若い方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。自治会の加入率や選挙の投票率が低いと言われているのは、新興地域が広がってきたことに少なからず関係しているのかもしれません。
――最後に今後の豊富をお聞かせください。
重松:是非公民館には、地域の人が気軽に集える場所として、校区がひとつにまとまる一つの役割を担ってほしいと願っています。様々な行事が行われていますが、まちづくり協議会や自治会など様々な団体が強力しあう行事ができれば理想ですね、例えばスポーツを軸にした行事は老若男女が一緒に楽しめまるのでいいのではないでしょうか。私の住む3丁目自治会では、ダンベル体操、サロン書道教室などを催しています。鍋島に住んでよかったといわれるように鍋島に活気が甦るよう引き続き私も元気な間は尽力して社会に貢献していきたいと思っています。
――本日はお話ありがとうございました。
聞き手:鍋島公民館館長 岸川いづみ
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