11月21日(金)、「歴史・伝統部会の歴史探訪ウォーキング」が実施され、10名の参加者が佐賀市諸富町寺井津の歴史を巡る約3kmのコースを歩きました。当日は雲一つない青空が広がり、温暖な気候のなか、参加者はいにしえのロマンを体感しました。
「歴史の転換点を目撃した「御蔵浜」
ウォーキングの起点の一つである御蔵浜(おくらばま)は、単なる静かな海岸ではありませんでした。ここは、寛永14年(1637年)の島原の乱において、幕府軍が海路で島原へ向かうために船出した、まさに歴史の転換点となった場所です。
参加者は、船出の様子に思いを馳せながら、「ここで歴史が動いたのだ」と、その地に立つことの重みを実感しました。陸路よりも海路が選ばれたという事実は、当時の交通や戦略を物語っており、歴史的観点から非常に興味深いものでした。
「新川」と「神明井樋」
全長3.4kmの新川(しんかわ)は、佐賀江から分流し、筑後川の分流である早津江川に注ぐ重要な水路でした。藩政期には早津江と共に「五か津」の一つとして栄え、特に魚問屋は県下はもとより、柳川・久留米をも凌ぐ勢いであったという説明に、参加者は当時の活気溢れる商業の様子を想像しました。
また、新川と早津江川を結ぶ「神明井樋」)は、アオ(淡水)を取る灌漑のために設けられた特殊な構造を持っています。この井樋が「若い頃はまだ現役だった」という参加者からの言葉は、水路が果たした役割が生活に密着していたことを改めて認識させ、歴史が現代まで繋がっていることを実感する瞬間でした。
徐福伝説が息づく「御手洗の井戸跡」
コースの最後は、御手洗(みたらし)の井戸跡です。不老不死の妙薬を探しに来た徐福の一行が、上陸して身を清めたという伝説が残るこの場所は、地域の歴史が神話や伝承とも深く結びついていることを示しています。古代のロマンに触れ、「この地に立ち、同じ水で身を清めたのかもしれない」と感じることは、歴史探訪の醍醐味でした。
「御蔵浜から島原へ船出した幕府軍の歴史、そして新川の魚問屋の栄華、徐福伝説。それぞれが全く異なる時代でありながら、すべてがこの諸富町の一帯に凝縮されていることに感動しました。美しい青空の下、地域の歴史の厚みに触れる貴重な体験でした。」
当日は、早津江川を忙しく行き交う海苔船の様子も見られ、いにしえの歴史と現代の営みが共存する、佐賀ならではの風景を堪能しました。
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