「西与賀郷土かるた」の紹介 NO.22

西与賀公民館

西与賀公民館

「西与賀郷土かるた」は、令和2年度 西与賀まちづくり協議会との共催で作成しました。
西与賀の歴史・文化・自然など、後世に残していきたいものを55選び、それぞれによみ句と取り札(写真・絵)を考えました。



NO.22 題材『海童神社』

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「海童神社」の説明
 海童社の祭神は「海神(わたつみ)」(わたつみ、綿津見とも)で、有明海の潮受け堤防である松土居(西与賀では本土(ほんで)居(ー)や一番土居(でー)とも呼ばれる)が、500mほど南にあるので、この地に海の神を祀ったものと思われる。社では、元旦祭・八朔祭り(旧暦8月1日の祭り、現在では8月最終日曜に実施)・秋祭り(おくんち・10月18日)を行っている。川副町犬井道の「海童神社」とは、本社・末社の関係はない。 丸目の初見が「元禄絵図」(1701)ですので、その2・30年前から居住し始めたと思われることから、創建は不明ながらもその頃かと推測される。 鳥居が土地を高めたことにより30㎝ほど低くなっているが、嘉永7年(1854)8月の建立である。なお、この年はペリーが再来航し、「日米和親条約」が結ばれ鎖国が終わった年で、11月には「安政」と改元されている。 ちなみに丸目の由来は、各地からの入植者を一つに「まるめよう」(まとまるよう)とのことからと伝わっている。