11月9日(水)、佐賀県立博物館・美術館 副館長 浦川 和也 さんをお招きし、「鍋島直正のイメージの見直し −妖怪と言われてきたが、そうではなかった−」というテーマでご講義いただきました。
肥前の妖怪と異名を持つ直正ですが、藩の財政を立て直し、いち早く国防に尽力した希代の名君としても知られています。
幕末期、日本有数の軍事力と技術力を誇っていた佐賀藩でしたが、直正の意向で尊皇攘夷派、公武合体派そのどちらにもつかず、姿勢を明確にすることがなかったことから、まったくとらえどころのない「肥前の妖怪」と呼ばれていたとのことでした。
その背景には佐賀藩が蓄えてきた武力や技術・人材は日本を諸外国の侵略から守るためのもので、国内の内乱に対して行使するものではないという考えからであったからではないかとも言われているようです。
また、愛娘の貢姫に宛てた手紙などからにじみ出る親心や、家来の命を軽んじることはなかったということから、慈愛に満ちた人柄だったのではないかということでした。
様々なエピソードから見える「直正像」ですが、直正が言ったとされる「私の家来たちはとにかく学ばねばならぬのだ」という言葉に、すでに世界、そして未来を見据えた決意のようなものを感じ、すべてがそこから始まっていったとおもいました。
講師の浦川さん
会場の様子