開成さが学講座 第三回「佐賀藩の西洋医学と医人たち ‐佐賀藩医相良知安ほか‐」 開催しました

開成公民館

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 12月14日(水)、佐賀医学史研究会 理事 佐賀藩医相良知安より五代目子孫の相良隆弘さんをお迎えし、「佐賀藩の西洋医学と医人たち ‐佐賀藩医相良知安ほか‐」というテーマでお話いただきました。
 佐賀藩10代藩主に鍋島直正が就任後、「医学寮」、「医学館」が創設されるなど、佐賀藩は西洋医学をいち早く取り入れます。また、医師免許制度の導入、種痘をまず藩医の子、そして藩主直正の長男に接種し成功させ、佐賀藩そして江戸へ広めるなど医学予防の先駆けとなります。
 先導的な蘭方医としては、島本良順や大石良英、伊東玄朴などがいました。
 天保7年(1836年)に佐賀城下八戸に生まれた相良知安は、嘉永4年(1851年)に弘道館、安政3年(1856年)に佐賀藩医学校に入学、その後「佐倉順天堂塾」に入門し、頭角を現していきます。
 その後、「精得館」の館長や藩主鍋島直正の侍医、好生館医学校の教導方差次(准教授)、現在の東京大学医学部の学長などに就任します。
 また新政府が将来イギリス医学を日本医学の模範にすると決めていたにもかかわらず、知安はドイツ医学こそ世界最高水準であり、「我が国はドイツ医学を導入すべき」と信念強く主張し、日本にドイツの医学を導入した功績者としても知られています。
 この後、冤罪により不遇な人生を送った知安でしたが、明治33年(1900年)に勲五等双光旭日章を受け、明治39年(1906年)に71歳で永眠しました。昭和10年(1935年)には知安の功績を顕彰するため、「相良知安先生記念碑」が建立され、近年東大医学部附属病院入院棟玄関前に移転されました。
 佐賀の郷土の医(偉)人として尊敬するのはもちろんのこと、日本の医学の未来のために信念を貫き通したその姿勢に、今回受講された方々からも、「こんな素晴らしい佐賀の偉人を知ることができてよかった。」といった感想が寄せられました。

講師の相良さん
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