嘉瀬町百景#15 藤三郎屋敷遺跡

嘉瀬公民館

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嘉瀬町中原の有明海沿岸道路(佐賀道路)建設現場で遺跡が発見され、令和2年7月から佐賀県文化財保護室により発掘調査が行われました。遺跡は古い地名にちなんで、藤三郎屋敷(とうざぶろうやしき)遺跡と呼ばれています。

調査の結果、戦国時代から江戸時代初めごろの大きな溝(堀)や、墓地が発見されました。発見された堀は7~10メートルと大型で、南北方向と東西方向に枝分かれして延びています。堀の中からは、中国産の青磁や、瀬戸・美濃産、備前産の陶器のほか、五輪塔などの石塔も出土しました。



7月18日(日)に、地元向けの現地説明会が開催されるときき行ってきました。中原、有重の方を中心に30人超が参加。文化財保護室の担当職員の説明を受けながら、墓地や堀、建物跡を見て回りました。

R3_7_18藤三郎屋敷.jpg(建物跡の一つ。素掘りの穴に柱を立てる「堀立柱建物」というそう。)



墓地では27基の墓が発掘されました。箱式木棺墓や桶棺墓のほか、肥前陶器の大甕を用いた甕棺墓や、六角形の木棺を用いた墓なども見つかっており、漆塗りの椀や櫛などが副葬品として納められている墓もありました。 こうしたことから、藤三郎屋敷跡は堀で囲まれた「低平地環濠集落」であり、文献記録や周辺の地名から、龍造寺氏・鍋島氏に仕えた「蒲原氏」の館跡と関連する可能性があります。


R3_7_18.藤三郎屋敷jpg(墓地跡。大小さまざまの穴に、甕や木棺の破片を見ることができました。)



R3_7_18藤三郎屋敷.jpgR3_7_18藤三郎屋敷.jpg(出土品の一部。大きめの鉢は、甕棺の蓋だと考えられるとのこと。)



この辺は区画整理された田んぼが広がっているところですが、昭和の頃お年寄りの中には、藤三郎屋敷をはじめ天神屋敷、大城戸(おおきど)、松本屋敷籠(まつもとやしきごもり)などの古い地名を口にする人もいたそう。今後調査区域は埋め戻され、本格的な道路工事が始まるとのことでした。
(参考引用:佐賀県発掘成果速報展2021)