「中世の嘉瀬町」歴史講座を開催しました。

嘉瀬公民館

嘉瀬公民館

嘉瀬町で戦国時代末期のものとみられる館跡が発見されたことから、約400年前の嘉瀬町について学ぶ歴史講座を企画しました。第1回を10月29日(金)、郷土史家の森周藏さんを講師に招いて行いました。

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嘉瀬川を抜きにして嘉瀬町を語ることはできないと、嘉瀬川を中心とした佐賀平野の進展について詳しく説明されました。有明海には脊振山地から侵食・風化した大量の花崗岩の砂礫が、嘉瀬川や巨勢川などから流入し広大な干潟が成長し続けた。有明海の干拓は12世紀初頭には実施されていることが確認されており、今回遺跡が発見された嘉瀬町中原(なかばる)地区は海岸線の変遷から考えて、鎌倉時代末期から室町時代にかけて干拓が行われたと推測できるそう。

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中原の古い地名「弐本杉籠」「四本杉籠」の籠(こもり)は干拓地の名称で、江戸時代以降は干拓工法が異なり搦(からみ)と呼ぶようになった。また、諸富の寺井津、川副の船津、米納津、嘉瀬の嘉瀬津に、牛津など佐賀には「津」がつく地名が数多くある。これらはかつて、有明海の干満差を利用し船が出入りした港だったそうです。


次回は11月17日(水)13時30分から。遺跡の調査にあたった佐賀県文化財保護室から、出土品などについて詳しく報告してもらいます。お楽しみに!
(嘉瀬公民館主催、参加者20人)