中世の歴史の足跡をもとめて(嘉瀬町歴史ウォーク)

嘉瀬公民館

嘉瀬公民館

嘉瀬町中原(なかばる)地区を散策し、地域の歴史を学ぶ講座を10月24日(月)に開催しました。
中原地区は数百年前の低平地環濠集落の地形をとどめているといわれています。周辺は圃場整備が終わり、道路と田んぼが碁盤の目のようになっていますが、集落内は濠がめぐり道は緩やかに曲がりくねっています。曹洞宗の寺が3つあり、それぞれ住職さんから話をききました。


臨滄庵(りんそうあん)は天文19(1550)年創建。500年ほど前、今川家に仕えていた蒲原(かんばら)氏が九州防衛のため静岡からこの地を訪れ、そのまま住み着き蒲原(かもはら)と名乗るようになったといいます。その一族が建てた寺で、正式には『蒲原山臨滄庵』。豪族となった蒲原氏は龍造寺家から鍋島家までの間存続しており、数年前に近くの道路工事現場で蒲原氏と関係する城館跡とおもわれる遺跡が発見されました。

R4_10_24 歴史ウォーク(1).jpgR4_10_24 歴史ウォーク(2).jpg(臨滄庵境内にて。檀家には蒲原さんも多い)



海壖寺(かいぜんじ)の創建は約400年前。住職の山下さんによると、創建当時に有明海の海岸線が近くにあったことを寺の名前が表しているとのこと。臨滄庵と同じく蒲原一族が建てた寺で、昭和の頃まではお遍路さんが訪れていたといいます。

R4_10_24 歴史ウォーク(3).jpg(海壖寺にて。右端が住職の山下さん)




東光寺(とうこうじ)は、1632創建の鍋島家ゆかりの寺。薬師如来が本尊で、病の治癒を祈願したと考えられてます。戦後間もなく火事に遭い、旧い資料がほとんど焼けてしまったそう。山下さんは「東光寺は護国山東光寺といい、鍋島藩を守るためにつくられた寺。江戸時代は厚遇されていたのではないか」とほかの2つの寺との違いを説明されました。

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最後は佐賀道路の建設現場へ。有明海沿岸道路から分岐し、唐津へと続く道が建設中です。この場所から、戦国時代末期から江戸時代のものとみられる墓地跡や館跡が発見され、棺や陶磁器、五輪塔などが出土しました。

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嘉瀬町は米どころ。静岡からはるばるやって来た蒲原(かんばら)氏が居着くほど、かつてからこの地は肥沃で豊かであったわけですね。今回案内役を買ってでた山下さんは、「嘉瀬町は昔から寺が多く、裕福な土地柄だったのでは。ぜひ地域の歴史にも目を向けてほしい」と話されました。

(嘉瀬公民館主催、参加者10人&わんこ1匹)