ふるさと川上を調べよう!小学生の自由研究に最適!
池上地区にあった大楠が、広島県宮島の厳島神社の大鳥居に使われていることをご存知でしょうか?明治8年(1875)に建立され、昭和25年(1950)の大規模な修理の際、西の主柱の水に浸かる部分に使われてるそうです。「根継ぎ補修」というらしい。70年を越え、今もなお大鳥居を支えている!しかもこの大鳥居は自分の重みだけで海に立っているそう!いろいろ調べてみると楽しそうです。
(1)高岸家の家屋と大楠
写真の大きな木は、昭和25年(1950)当時、高岸家(大和町大字池上)の庭に立っていた樹齢千年以上を誇る大楠です。川上村の人々にも「池上の大楠」と親しまれていました。 終戦間もない昭和20年の秋、全国が台風の災害に見舞われました。広島の厳島神社も、山津波による被害を受け大きく破損しました。その修理が昭和23年に着工され、昭和25年に大鳥居の修理の運びになったのです。しかし、主柱としての楠がなかなか見つからず、条件に合う楠が全国から探されました。 その時、この高岸家の大楠が厳島神社大鳥居西の主柱として、白羽の矢が立てられたのです。この写真の家屋は佐賀の古い建築様式「くど作り」に則り建築されたものです。
(2)伐採された大楠
昭和25年、高岸家の大楠は、厳島神社大鳥居西の主柱として伐採されました。大きな根元の切り口の前に立つのは、高岸家の主、高岸鹿之助氏。 大鳥居の主柱の条件は、海水に強い楠であること、根元から真っ直ぐに伸びていること、鳥居の大きさに合致する大きさであること。日本中の楠から探されましたが、その条件に合ったのが、この「池上の大楠」だったのです。
(3)小城駅に運ばれる大楠
厳島神社の大鳥居の主柱として伐採された大楠は、厳島神社まで大切に輸送されました。この写真は、小城駅へ運ぶため、滑車を使っての積み込み作業風景です。 輸送するための車や機械類のない時代、人の手で大楠を伐採し、滑車を使って荷車に積み込むのです。荷車に積んだ大楠を小城駅まで運ぶのは大変な作業であったと想像できます。
(4)貨車に積み込まれた大楠
小城駅に到着し、貨車に積み込まれた大楠。出発の準備が整った貨車の前で作業に携わった人々が記念の写真撮影をして、慣れ親しんだ大楠に別れを惜しみました。 厳島神社へ到着するまでに、大きな幹が関門トンネルにつかえるため一部を切り取るなど、大切な大楠を運ぶ作業は大変なものでした。
(5)完成した厳島神社大鳥居
昭和25年、高岸家の大楠は厳島神社の大鳥居西の主柱となり、勇姿を現在にとどめています。 厳島神社大鳥居は平清盛の建立以来、焼失、台風、津波による破損のため、大修理が行われてきました。現在のものは第8代にあたり、明治8年(1875)に建立。 その後、厳島神社は、昭和20年9月の山津波によって、一瞬の間に土砂と流木、巨石が流れ込み、神社、回廊、揚水橋、長橋を流失しました。その時、大鳥居も破損しましたが、昭和25年に修理工事が行われ、現在に至っています。
写真提供 大和町池上 高岸暉史様