男女神社の祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の男女の神様を祭っていることから縁結びや商売繁盛 などの御利益があるとして昔から信仰されています。
1570年、龍造寺氏と大友氏が今山の陣のとき、この一帯に火が点けられてしまいました。 そのために当時の宝物や書物などすべて焼けてしまい神社がいつできたかは分かりませんが、 少なくとも今から650年以上前に建てられたと思われます。
700年も前に正空(しょうくう)という僧が光明寺(こうみょうじ)(現在は廃寺となっています)を男女神社の南東の方角 に建てました。また、お寺に関係する施設も周辺につくり、この一帯は仏教が繁栄した場所であったといわれ今も横馬場にそのころの地名が残っています。
光明寺が建っていたころは、神仏習合の時代で光明寺の僧が代々に亘って男女神社を管理していました。そのころの男女神社は今よりも大きな神社で、東の谷に講堂があり西の谷の楼門(ろうもん)がありました。そのため横馬場(よこばば)、楼門谷(ろうもんだに)、竪馬場(たてばば)などの地名があり、これらの地名は当時、この地域が栄えていたことを想い起こさせてくれます。現在の神社は1654(承応3)年佐賀藩主の鍋島勝茂と小城藩主の鍋島元茂が出資して再建したものです。このことは記録に残っています。
神社のお祭りは2月27日に祈年祭(五穀豊穣の祈願)、4月27日に例祭(神恩報謝郷土の繁栄を祈願)、11月3日新嘗祭(にいなめさい)(御祈願成就の祭)などがあります。
毎年秋には、男女神社境内で450年前の今山の合戦劇(伝承芸能祭・龍造寺氏と大友氏の戦い)が地元小中学生で演じられています。また、男女神社からは、西に「多良岳山系」、南に「雲仙普賢岳、有明海、佐賀平野」、東に「耳納連山」(みのうれんざん)といった眼下に広がる景色は絶景で、癒しの場所となっています。