1570年龍造寺氏と大友氏の今山合戦のとき、この一帯に火が点けられ当時の宝物や書物などすべて焼かれてしまったことで、男女神社がいつできたかは分かっていませんが、少なくとも今から700年以上前に建てられたと思われます。付近には、光明寺(廃寺)や子院・末寺が立ち並び、神官・修行僧が行き交い仏教繁栄の霊地だったと言われています。今山合戦の後1654年(約370年前)に佐賀藩初代藩主・鍋島勝重公と小城藩祖・鍋島元茂公が協力して再建したことが石碑に刻まれています。今回は、男女神社の春の例大祭にお呼びいただきましたので、取材を兼ねて出席させて頂きました。すがすがしい気持ちの中、祝詞を奏上され五穀豊穣と安全の祈願が滞りなく執り行われました。また、令和10年には男女神社800年祭を迎えるための準備をされているとのことでした。また、最近では若い人や遠方からのお参りが多く見られるとの事でした。【取材日:4月27日(日)】
男女神社からは多良岳山系、耳納連山、雲仙普賢岳、有明海、佐賀平野を一望に見渡せます
五穀豊穣と安全の祈願祭の様子です
創建当時のものと思われる鬼瓦