「松梅オルレ」の目的
小中一貫校松梅校(釋美貴子校長)は、児童・生徒たちに松梅の歴史と故郷の良さを学んでもらおうと、毎年、「松梅オルレ」と題し、徒歩による松梅史跡巡りを実施しています。
また、生徒主導型運営による自主・自立の精神の涵養や、児童・生徒と地域の人達との親睦の深化も目的となっています。
令和7年度「松梅オルレ」は三反田方面
「松梅オルレ」は、4月25日(金)午前中、中学部3年生を除く60人を超える児童・生徒を4班に分けて実施されました。今回のコースは三反田方面であり、
①通天寺
②華蔵庵跡
③三反田代官所跡
④眼鏡橋
⑤腹切地蔵
⑥梅野神社
の史跡を巡るものです。(3・4班は逆コース)
各史跡は、松梅寺子屋「松梅学」のメンバーの方がゲストティーチャーとして説明を行い、史跡を巡るエピソード等について分かり易く説明されました。児童・生徒たちは一生懸命メモを取っていました。
★副校長からの挨拶
3点お願いします。
①目や耳をすまし、松梅の魅力を身につ
けてもらいたい。
②なぜ、どうして昔の人はこうしたのか
と考える。
③触れ合い、思いやり、感謝の気持ちを
大切にする。
今日のオルレでは、教室の中で経験できないことを自然の中で学んでいってください。★ゲストティーチャーの紹介
★見学先
通天寺
開基である和尚は「はがくれ」の口述者・山本常朝に影響を及ぼした湛然和尚と親交があり、通天寺には葉隠四哲(湛然和尚、石田一鼎、山本常朝、田代陣基)の肖像画があります。 華蔵庵跡
鍋島家の菩提寺である高伝寺住職の湛然和尚は、鍋島家二代目藩主・光茂公の審判に対し納得が行かなかったため、出国を願ったが許されなかった。その後、最終的に松梅松瀬の杉山を開墾して生活した庵跡です。 三反田代官所跡
江戸時代、三反田は佐賀から浜崎に至る交通の要衝であり、ここに代官所が置かれました。 眼鏡橋
明治27年、中国のアーチ型の工法によって竣工された橋です。 腹切地蔵
湛然和尚が出国しようと通天寺にいた頃、光茂公から「湛然を慰留せよ」との命を受けた藩士が追いかけてきて説得したが、湛然和尚は聞き入れなかった。藩士は使命を果たすことができなかった事を恥じ、名尾川のほとりで切腹したと言い伝えられている。その後、自刃した藩士が哀れと思い、通天寺和尚が地蔵尊を建立したものです。 梅野神社
鎌倉時代の創立ではないかと思われます。お産の神様、酒造りの神様として信仰が厚く、安産を祈る婦人の参詣が多いようです。★児童・生徒の感想
○各史跡には、その場所にまつわるエピ
ソードがあり、面白いなと思いました。
○松梅には、日頃通ることがない場所に
も史跡があることを知りました。
などの声が聴かれました。