松梅まちづくり協議会 松梅寺子屋「松梅学」(上野省一郎委員長)は、9月21日(日)、「第2回松梅史跡巡り」を開催し、これにはスタッフと一般参加者を合わせ19人が参加しました。
「松梅史跡巡り」は、松梅の史跡を探訪し、深堀りしていく中で松梅の魅力を知ってもらいこれを広く発信していこうというものであり、第2回目の今年は名尾地区にある5か所の史跡巡りを楽しみました。
史跡巡りの対象となったのは、
①蓮福寺(井手口)
②名尾和紙発祥碑(四十坊)
③旧松野家住宅(桟敷)
④名尾家の墓(楮原)
⑤名尾手すき和紙工房(原)
です。
「蓮福寺」
浄土真宗本願寺派のお寺であり、住職から蓮福寺設立の歴史についてご講話がありました。特に、平安時代、菅原道真の祖父の菅原清公が開山し、遣唐使として最澄や空海と一緒に中国に渡航した話や、住職の私説ではありますが、最澄が帝都である京都の鬼門(北東)方角に比叡山延暦寺を建立したのと同様、鑑真和尚の嘉瀬川上陸地点の鬼門方角に清公が「蓮福寺」を建立したというお話は興味を引きました。 「名尾和紙発祥碑」
四十坊の自治公民館西側にあります。名尾和紙の谷口祐次郎さんのお話では、江戸・元禄時代、納富由助氏が筑後ですきづくりの製紙法の技術を学び、名尾に帰って村民に伝え指導を行った。これが端となって名尾紙の名声が揚がり、村民の生業を守ったという功績を讃えて建立されたものということでした。
「旧松野家住宅」
桟敷集落地にあり、明治初期に松野作一氏が財を築き、建てた家屋です。その主屋、納屋、門柱及び石垣、取水地の4か所は平成元年に佐賀市景観主要建造物に指定され、令和6年3月6日に国の「登録有形文化財」に登録されています。
現在、人集めができる古民家に変身しようと改築作業が行われています。どのような建物になるのか楽しみです。 「名尾家の墓」
楮原の集落の南方にある名尾山の麓付近にあります。名尾家は平清盛の末裔である薩摩の守・平忠度が戦死する前に末子を名尾に都落ちさせ、後年、名尾山一円を領したということから始まったということでした。お墓は竹藪に囲まれたひっそりした場所にあり、小さなお墓でした。 「名尾手すき和紙工房」
史跡巡りに参加された谷口さんが、名尾和紙の歴史、工房での各作業手順の紹介、昨年、訪問された愛子内親王への対応などについてお話をされました。
江戸中期からはじまった名尾和紙は丈夫な紙質ということで明治初期まで栄えたが、以降、機械化による大量生産が到来したことで衰退し、昭和の初めには100軒ほどあったものの、現在は谷口家一軒だけとなってしまい、95%がオーダーでの生産ということでした。
★写真真ん中にある一文字の木々が名尾和紙の原材料となる梶の木です。 5か所を巡った後は、松梅公民館大会議室で上野委員長作成のYouTube動画
○名尾家物語と名尾城
○松梅オルレ
を見ながら、お弁当をいただきました。 参加者からは、
○名尾の知られざる歴史を聴いて勉強
になった。
○こんなにいい企画をしてもらい、あ
りがたかった。もっと多くの人に参
加してもらい、松梅の魅力を知って
もらいたかった。
などの意見が聴かれました。
「松梅学」のスタッフの皆さん、企画はもとより、いろいろと気遣いをしていただきありがとうございました。