平成27年11月15日の日曜日に「ウォークラリー」を実施しました。
今回は、「海童神社」や「燈堂」の歴史を訪ねるウォークラリーでした。
小学一年生から六年生までの児童と保護者の合計41名とまちづくり協議会メンバーなどを含め総勢約60名が参加しました。
今回は保健センターに集合してもらいました。
まずは受け付けの様子から紹介します。みんな、楽しみに待っていたようです。
会場に集まってもらった後、昔の南川副の地図(1900年、1985年、2000年)を使って、「地図に見る南川副の移り変わり」などを話して頂きました。
続いて、今回の「ウォークラリー」の説明と注意事項を聞きました。
配布された「地図」を片手に、指定された七つのチェックポイントを回って帰って来るラリーです。
また、全部で12問の各ポイントにまつわるクイズを解きながら回ります。
今回は、廻る順番が決まっていました。
6チームを3分ずつずらしたスタートで、みんな元気よく出発しました。
行ってらっしゃーい。
まず第1番目のチェックポイントは、「海童神社(かいどうじんじゃ)」です。
戦国時代の勇将、龍造寺隆信が一時、筑後に難をさけた後、天文22年(1553年) 水ケ江城奪還のために海を渡って鹿江崎に上陸し旗揚げ後、水ケ江城を奪還しました。
当時この地を視察した隆信は、代官に命じて潮水防堤を増築し、鎮護の神としてこの「海童神社」を創建したとされています。
「海童神社」を南に約600m進んで行くと、第2番目のチェックポイントの「下宮(しものみや)」があります。
戸ヶ里港の北西約300mのところに鎮座しています。
社殿と八大龍王像が建立されています。
第3番目のチェックポイントは、「燈堂(あかしどう)」です。
ひそかに水ケ江城奪還を企てていた龍造寺隆信は、鹿江兼明らの船に乗り犬井道地先のここ燈堂に上陸しました。
当時この辺一体は葦の生い茂った海岸で、航路の安全を祈る灯(燈=あかし)をつける堂があったことからアカシドウと呼ばれているそうです。
戸ヶ里漁港を回って着いたのが、第4番目のチェックポイントの「八大龍王(はちだいりゅうおう)」が祀(まつ)られている祠(ほこら)です。
護法の龍神、八龍王の総称である八大龍王を祀ってあるそうです。
さあ、予定の半分は回りました。もう少しですよ。
第5番目のチェックポイントは、「真照寺(しんしょうじ)」です。
犬井道周辺地区では最も古い真宗寺院です。
藩政時代、藩主が有明海方面への狩猟をする際には、本寺が休憩所となったとのことです。
第6番目のチェックポイントは、「南川副村役場(みなみかわそえむらやくば)」です。
明治22年(1889年)、市町村制の施行で「南川副村」が誕生しました。
この旧JA南川副支所があった場所に、「村役場」が建てられその後、「南川副町役場」として利用されました。
昭和30年(1955年)に中川副・大詫間との合併後「川副町役場」となり、現在の「佐賀市川副支所」の場所に移転されたそうです。
最後は第7番目のチェックポイント、「水功記念碑(すいこうきねんひ)」です。
昭和12年(1937年)、南川副村に水道が布設されました。
その頃の生活用水は堀の上澄み水や雨水使用が当たり前でしたが、地下約180mの湧水を電気で揚水するという画期的な設備がこの地に作られました。
「水源地」と呼ばれていました。
この場所では、「宝探し」も行われました。
隠されたカラーボールを探し出すものでしたが、皆すぐ見付け出してくれました。
見付けた後は時間を見計らって、ゴールの「保健センター」を目指しました。
全員、無事にゴールインしました。
お疲れさまでしたー。
クイズの得点と時間得点で集計をして、順位を決めました。
集計中にクイズの正解を発表しましたが、子ども達の記憶にもしっかりと残ったことでしょう。
続いて表彰式を行いました。
入賞したグループの表彰、次に「宝探し」の景品渡しと続きました。
賞品・景品がいっぱいで、みんな大喜びです。
最後に、計画・実施して下さった係の人達に皆でお礼を言った後、参加賞ももらって家路につきました。
今回も準備が大変だったのですが、やっぱり子ども達の喜ぶ姿を見て苦労が吹っ飛びました。
また、昨年廻った「鹿江地区」の歴史と深く繋がっていてとても意義深く感じました。
ご協力、ありがとうございました。