三瀬村には、古くから「厄神祭(やくじんまつり)」という祭りがあります。ネット上で探す限り、佐賀県内で厄神祭という行事については、この三瀬のもの以外には見つけられませんでした。
一般に厄神祭は、その年の悪病の流行等を防ぐため、疫神をまつってその威を和らげ鎮めるために行われるもの(weblio)だそうですが、よく知られている個々人の厄払い・厄除けとは、意義は通じるものがありますが、形式などが大きく異なります。
三瀬村では、中鶴地区の嘉瀬川の畔にたたずむ石祠にこの厄神が祀られており、建立は1673年(寛文13年)。 厄神祭の儀式は、この厄神の正面で繰り広げられます。ただし、ここの厄神は厄難をもたらす厄神ではなく、厄難を鎮める仏様(神様ではなく)とされているようです。
今年は、2月13日(日)午後2時から、この「厄神祭」が執り行われました。
祭主は、地区内の部落が毎年交代で担当しますが、準備すべき祭具や祭の手順などの基本的な決まりは、営々と受け継がれてきたものです。
祭がどのように執り行われるか、「三瀬村史(昭和52年 三瀬村史編纂委員会)」に記されている内容を添えて、今回の祭りの状況をご覧ください。
「祭りの当日は祭場に婦人が参列してはいけない。(三瀬村史)」と記されており、現在でも、女性は子供も大人も、祭場の外になる田圃道に椅子を並べて、遠くから見学されていました。
先ずは、お祓(はら)いと祝詞が行われました。
(村史とは異なりますが)続けて代表者による玉串奉典が行われました。
「お祓いと祝詞の儀がすむと、的引きがはじまる。(三瀬村史)」
的(まと)は、直径3mほどもある大きなもので、竹を編み両面から紙を貼り付け、的の円を墨で描いたものです。
3人の若者が大的(おおまと)のふち3カ所にとりつけた的引縄をとって、大的が地につかないように空に浮かせて段々田畑を駆け登り、的枠にとりつける。(三瀬村史)
とりつけが終わると神官の従者(祭主)が弓と3本の矢をとって先導し、神官はダラの木の槍を持ってつづく。(三瀬村史)
大的の前まで進みでてから、鬼のようすを回毎にうかがいながら、右回り3回、左回りに3回まわって、(三瀬村史)
従者(祭主)が大的をめがけて左・右・中央の三カ所に矢を射込むと、(三瀬村史)
すかさず神官が槍で鬼を突き落して最後のとどめをさす。(三瀬村史)
村史では、この後で玉串奉典の儀が行われ、参詣者の礼拝が済んだ後、儀式を閉じるとなっていますが、今日では、この後は、お神酒をいただいた後、参列者が誰でも、自由に的に矢を射ることができるお楽しみの時間になっていました。
手作りの弓と矢ですが、ちゃんと作られたもので、小さな子供では弦を引くのが大変そうな位の硬さです。的は直径3mほどもあるのですが、30mほどの距離から射止めるのは簡単ではありませんが、神主さんも子供たちも、皆さんとっても楽しそうでした。
準備した全ての矢を射尽くして拾い集めてを3巡ほどした頃に、祭場を閉じ、地区公民館での宴となりました。
地区の方々が知る限りにおいて、このお祭りは過去一度も途切れることなく行われてきたそうで、地域の結束の強さと長い歴史の上にこそ行えるものとして、誇らしく感じておられるものと思います。