5月7日(日)「城まつり(じょうまつり)」が行われました。
この祭りは、毎年、決まってこの日付に行われる、戦国時代の山内(神埼、佐賀、小城の北部山間地域)の名将神代勝利を祀った勝玉神社の祭りです。 この祭りは、三瀬村宿(しゅく)地区の住民により営まれている祭りで、神代家ゆかりの方々も参加されています。
勝玉神社は明治23年に宿地区の住民の方々によって城山の麓に築かれ、...明治8年に三瀬城跡に神代勝利を祀った勝玉大明神を源としています。 祭の準備は、城山の石祠の清掃や登山道の整備などが数日前に済ませられており、当日は、社殿や敷地の清掃、幟旗の掲揚、しめ縄の取り換え、奉納品のお供え等が行われました。 そして、これらと並行して、地区の方々の一部が城山の石祠に向かいます。20分程かけて城跡に到着すると、既に神代勝利ゆかりの方々が到着されていました。皆さんで石祠のしめ縄の交換やお供えものを準備し、全員が揃って参拝。 しばしの歓談の後、麓の勝玉神社へ戻りました。
すっかり準備は整い、時期を同じくして神官が到着されると、早速、祝詞奏上とそれに引き続く代表者による玉串奉てん。
明治から大正の頃までは、一般の参加者にも酒肴がふるまわれる、三瀬を代表する盛大なお祭りだったようですが、今日では、簡素に粛々と行われるお祭りになっていました。
神代家は、勝利の息子長良の代に重臣として龍造寺家の勢力に組み込まれることになりますが、勝利の没後450年以上にも及ぶ今日の「城まつり」に接して、人物の遺徳の意義というものを考えざるをえませんでした。 現在、三瀬公民館では、神代勝利パネル展を行っています。気軽な学びの場として、是非ご利用ください。