西川副まちづくり協議会、歴史・文化部会 歴史探訪

西川副公民館

西川副公民館

●西川副まちづくり協議会、歴史・文化部会は、令和7年7月31日(木)PM12:50~、参加者21名(2名欠席)、西川副公民館を出発し、仁比山神社・伊東玄朴生誕地・下村湖人旧宅と歴史探訪へと向かいました。西川副まちづくり協議会坂田元秀会長も、近くて遠く、これらの地は初めてとのこと。皆も、38度という猛暑の中、熱心に勉強しました。
仁比山神社では、木陰の涼しい場所で翁宮司様から、古くから農の神、酒の神、医薬の神とし て崇められ、1200年前に創始と伝えられていることや庭園で有名な九年庵とも隣接し、近くに日本最古の観音霊場九州西国観音霊場の第20番札所としても知られている仁比山地蔵院もあること等の説明をいただきました。
また、本宮の裏手には「山王さんの使いとされるお猿さんに心の中で願いを念じながら水を掛けると願い事が叶う。」とされている金剛水が、冷たくて、とても気持ちが良かったです。

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●伊東玄朴旧宅では、神埼市役所から凌木大輔様に来ていただきました。伊東玄朴は、神埼市仁比山に生まれ、仁比山神社に仕えた執行重助の子として誕生し、21歳の時に佐賀蘭学の祖といわれる「島本良順」のもとで蘭学を学び、30歳で佐賀藩士伊東祐章の養子となり、学問の力で身分制度を飛び越え、幕末期に日本人を脅かした「天然痘」から人々を救い、国が東洋医学から西洋医学へ大きく転換する道筋を立てた日本近代医学の先駆者だったとのことです。後に、江戸幕府奥医師まで登りつめられ、郷土の偉人だとの説明をいただきました。会長も、元気に見学され良かったです。

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●「次郎物語」の作者、下村湖人の生家では、管理人の方から説明をしていただきました。蓮池鍋島藩の勘定方をしていた祖父が、明治初期に藩邸にあった建物を譲り受け、現在地に移設、増築し、10年ほど幼少期を過ごしました。自伝的小説である「次郎物語」は、現在の間取りや庭の様子も描写され、湖人の幼少期の暮らしぶりがうかがえるとの説明をしていただきました。実際に家は広かったし、階段が、特に、広くすごいなあと思いました。
 次郎物語は、我々世代は皆、次郎がいじめられていた様子が、未だに映像として、思い浮かびます。今回のこの歴史探訪は、昔懐かしく思い出されて良かったです。

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