10月20日(金)第2回歴史学習会が開催されました。第1回(9/13)が好評で、且つ今回のテーマが~佐賀藩初代藩主の息子たち~と題した、いわば佐賀藩主の跡継ぎ問題をメインテーマとした内容であったこと、更に講師の先生が今や大人気の徴古館主任学芸員「富田紘次先生」とあって、学習会を心待ちにしていた参加者が多かったようです。
蓮池鍋島藩がどのような経緯で創設されていったのか❓
それは地元蓮池の住民にとっては非常に興味深い内容で、期待にたがわぬ「アッ」と言うまの90分でした。
(1)初代佐賀藩主の教訓書
「兄弟・家老と仲良く、再三までは堪忍すべきが長久の根本」と説いた。
(2)初代藩主勝茂の正室菊姫(高源院)が、数多い我が子の中で三男直澄(蓮池鍋島藩初代藩主)が、よりいとおしかったのは何故?
(3)鍋島家御霊屋(高傳寺)では忠直と牟利(恵照院)の墓石は隣ではなく離れた場所に建っている。(忠直早死で離縁の形をとった)
(4)蓮池鍋島家御霊屋(宗眼寺)では直澄と牟利(恵照院)の墓石は横に並んで建っている。(忠直の正室牟利(恵照院)と直澄再婚)
(5)歴史を語るに余りに身近で藩主と嫡男の心のうちを探る質問も飛び出しました
(6)跡継ぎ話の極めつけに聞き入る参加者
忠直御卒去後の跡継ぎ問題で「光茂」か「直澄」か!!家中駆引きの中で、老中御招請の前日に、元茂と小倉女が取った行動が光茂藩主誕生のきっかけとなった。
以上です。