7月7日(金)七夕の日に、東与賀農村環境改善センターで開催しました。
吉野ケ里関連のニュースや新聞などでよくお見かけする、佐賀城本丸歴史館館長の七田忠明さんを講師にお招きして、今全国的にも話題となってる「吉野ヶ里遺跡の発掘から見えてきた邪馬台国の姿」と題してお話していただきました。
倭の女王卑弥呼が都を置いた邪馬台国はいったいどこにあったのか...
「魏志倭人伝」の記述と日本の古記録・地名等との比較による文献史学的な研究や、中国製の文物(銅鏡や鉄刀)の流入などから考察する考古学的な研究がなされているものの、未だ解決をみない九州説と近畿説。
平成元年以降注目を浴び続けてきた、国内最大級の環壕集落"吉野ヶ里遺跡"から見えてきた邪馬台国や女王卑弥呼の姿とはどのようなものなのか...
あいにくの雨で足元の悪い中にもご参加いただいたみなさんは、発見当初から吉野ケ里遺跡に関わってこられた七田先生の貴重なお話をとても楽しみにされているご様子でした。
弥生時代にはすでに行われていた東アジアの中心中国との外交、それを裏付ける文物や遺構などについて映像とともに分かりやすく説明していただきました。
○集落の構造から中国との関係を考えるのはすごいと思った。
○時間が少なかった。もっと話を聞きたかった。
○吉野ケ里遺跡をまた違う視点で見れそう。
○七田先生の九州説がとても良く理解できた。
などの意見が出ていました。
もしかしたら、本当に邪馬台国は吉野ケ里にあったのかも知れない...
参加者のお一人は「この先の夢としたい」ともおっしゃっていました。なんともロマンがあっていいですね♫