5月23日(金)、東与賀農村環境改善センターに集合し、本講座の名前のとおり校区内をゆっくり散歩してきました!
今回散歩するコースは、「中飯盛・下飯盛」という地域です。
【名前の由来】昔、有明海の干拓事業の際に飯場(飯を炊いて多くの人夫に食べさせる場所=飯を盛る所)が3ヵ所次々にできた。その第一番目の飯場という意味で上飯盛(佐賀市本庄町)、次の場所を中飯盛、三番目を下飯盛と呼ぶようになった由。この中飯盛、下飯盛と大野を併せて大字飯盛と称するようになったので、大野にもこの飯場があったとの説も残っている。(昭和57年発行 東与賀町史より)
黄金に染まった麦畑を眺めながら、また参加者同士でおしゃべりを楽しみながら、最初の目的地「瑞光山地蔵院」を目指します。
○瑞光山地蔵院
次に目指すは、石で叩くとかんかんと音がなる「かんかん石」。散歩を進めていくうちに分かったことですが、行く先々で同じようなものが建立されていましたが、建立された由来は不明とのことです。
かんかん石と一緒に並ぶお地蔵様にみんなで手を合わせ、次の目的地「下飯盛八幡神社」を目指しました。かんかん石を後に少し進むと、その道端に下飯盛八幡神社の参道が現れました。
鳥居をくぐり、100mほど歩を進めていくとその正面に下飯盛八幡神社が見えてきました。町史によると、こちらの神社には庚申や地蔵尊等が見当たらないのが特徴とされ、その代わりに佐賀県名木の一つに指定保護されている樹齢350年の大楠がそびえ立っています。(※町史によると、この大楠は先に見学した瑞光山地蔵院の大楠(樹齢250年)と「夫婦楠」とされていますが、今回見学した際に地蔵院の大楠は見つけることはできませんでした。もしかすると、病気などで伐採、もしくは台風や老朽化などで倒木したのかもしれませんね。)
余談ですが、境内の植栽の脇に鳥の子どもが2羽確認され、よく見るとその内の1羽は足にケガをしてうずくまっていました。この大楠にはたくさんの鳥の巣が確認され、おそらくほとんどがサギの巣のようで、この日は少し風が強く吹いており、強風に煽られて落下したようでした。参加者のみなさんも「かわいそうにかわいそうに」と気にかけらていました。このままではあまりにも忍びないと市の担当課に確認したところ、「サギは保護の対象外」とのことでした。なんの対処もできず、ただただ無事であることを祈りながら、後ろ髪を引かれる思いで八幡神社を後にし、次に向かったのは「中飯盛天満宮」です。
この天満宮の祭神は菅原道真公とされており、祠は全部が石造りで、昔上飯盛(佐賀市本庄町)から分身して祀られたらしく、御神体が二体あるそうです。
続いて向かったのは、「飯盛山悟真寺」。中飯盛でも北側の方にあり、交通量の多い県道48号線を信号のある横断歩道を使って安全に渡ります。
沿道や庭に咲く花々を観賞しながら、またすれ違ったり農作業されている地域の方々と挨拶を交わしながら歩き、次の目的地「飯盛山悟真寺」に到着。
こちらは明暦3年(1657年)に後光明天皇、将軍徳川綱吉の頃創建されたとされています。到着後、本堂にお邪魔し、古川住職様よりお話をしていただくことができました。こちらの住職様は、公民館登録の書道サークルで東与賀公民館へもよくお見えになっており、とてもお元気で明るく気さくな方で、今回の散歩の件をご相談させていただいたところ、「大した話はしきらんよ」とご謙遜されながらも、色々と事前にご準備していただき、勉強になることから面白おかしいことまでたくさんお話してくださいました。本当にありがとうございました。
昔、このお寺の敷地土壌は八田江及び本庄江のあず(砂地)が沈積して高地となったので、新地を開拓するために下飯盛や大野へ炊き出しを行った際に、「飯を盛った」ということから「飯盛山」と名称し山号としたそうです。
お話の途中では、本寺で保管されている掛け軸も見せていただき、そこにはお釈迦様が亡くなろうとする間際にご先祖様に会われている様子が描かれていました。
その時にご住職様がお話された「スズメとツバメ」の有名なお話を、恥ずかしながら私は知りませんでした。この話、みなさんはご存知でしたか?
○お釈迦様の死が近いとの知らせに、多くの弟子や動物たちが駆けつける中、いの一番に飛んできたのは着の身着のままで駆けつけたスズメでした。沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の木の下で横たわっていたお釈迦様はスズメを呼び寄せ、「すぐさま駆けつけるとは良い心がけだ。これからは米・麦を食べるとよい」と言い、スズメをほめました。
一方、同じ知らせにあれやこれやと化粧を施し、白の羽二重に黒の紋付きという、まるで祝い事のような格好で遅れてやって来たツバメに、お釈迦様は「私が亡くなるというのに、そのように着飾って来るとはけしからん!お前はこれから虫を餌とし、世のために働きなさい!」と叱りつけました。
そのことが現在でもスズメは米や麦を食べ、ツバメは虫を食べて一生暮らすことになった所以だとされているそうです。
ありがたいお話をたくさんしていただき、とても貴重な時間を過ごすことができました。
悟真寺を後にし、次に目指すは「百丈山開田庵」。おしゃべりを楽しみながら、道端の花たちを愛でながらテクテク歩きました。
こちらの開田庵の創立は享保2年(1717年)とされ、その名前の由来は当時この一帯は潟地で満潮時には漁舟が出入りしていたが、後に土地を住民たちが開いて田畑を作り、庵を建立したことからその名が付いたそうです。
そこから最後の目的地「慶雲山龍田寺」を目指しました。こちらのお寺は文明2年(1470年)に梅屋和尚を開山として始められたそうです。明治初期にこの寺院は寺小屋として勉学と収容の場でもあったとされ、以前には幼稚園もあったとのこと。
残念ながら写真にはありませんが、ここに以前幼稚園があった名残りなのか、ご住職様と古い知り合いだという佐賀市出身のトータルペインター"ミヤザキケンスケ"さんの絵が建物に描かれていました。
こうしてすべての散歩ポイントを回り終え、改善センターへと帰路へつきました。
中央に「八幡神社」を祀り、北に開田庵、南に龍田寺と地蔵院の三ヵ寺を擁している下飯盛地区。東与賀町内で一つの小邑に三ヵ寺もある所は他にはないとされ、しかも開田や龍田、地蔵等、土地や水田の名のつくものばかりで、この地域が土地の開拓や水田の構成によりできたものである証拠だと町史には記されていました。
今回の散歩を終えた参加者のみなさんからは...
・東与賀にこんなにたくさんお寺がある事にビックリしました。
・町内に住んでいながら他地域のことは知らないことに今回改めて気づきました。
・いつも車で行く所をゆっくり歩いて知ることができて良かった。
・飯盛山悟真寺の住職様のバラエティにとんだお話が楽しかった。
・またぜひ参加したい。
などの感想をいただきました。
今回ご参加いただきありがとうございました!お疲れ様でした!
■次回の開催は3月頃を予定しております。またのご参加をお待ちしております♬
【お詫び】今回お寺の外観などの写真撮影を失念しておりました。申し訳ありません。