武富政敏さん(西原二)に当時のお話しを聴かせていただきました。
お話しの内容が子供たち世代にも伝わるように箇条書きにしています。
※文中に出てくるわからない言葉・単語はぜひ、地区の大人の方に尋ねてみる、ネットで検索してみる、で調べてみてください。
・武富政敏さん 昭和5年(1930年)生まれの95歳。
・大東亜共栄圏、大東亜戦争、真珠湾攻撃、ソ連参戦、東条英機、の解説をじっくりいただきましたが、これは割愛しています。
・満蒙開拓団として通化省輝南大生堡村「通称、佐嘉榮村」に2年間いた。このときの団長は伊賀屋のミクリヤさんだったよ。
※佐賀県地域福祉課の資料にありますが、「佐賀県単独通化省第一次輝南佐賀郷開拓団」の一員、かと思われます。
現在は、吉林省通化市輝南県、です。
地図は、wikipediaより。赤いところが通化市です。
・いっしょに入植していた父親から「こんなとこにいてはなんにもならんぞ」と言われて帰国、神埼郡立神埼農学校(現在の神埼清明高校)を受験した。
8人で口頭試問を受験、受かったのは私ひとりだった。「あたまんよかったとやろね」。とにっこり。
学校では、毎日のように竹やり訓練をしていた。
学校の運動場はからいもを一面に植えてあった。食べ物がなかったからね。
・上分に何発か焼夷弾が落とされた。畑に防空壕を掘っていたからそんなときはすぐにげこんだ。
※写真のこのあたりに防空壕を掘っていたそうです。
・玉音放送は聴いたとやろうが、「ぜんぜんおぼえとらんよ。」