81回目の終戦の日を迎えております。
本年3月24日に107歳でお亡くなりになられました山口利太郎様(西原)の「私の兵役時代の記録(平成27年1月編纂)」の一部を紹介します。
※ご遺族の許可を得ております。弟の茂夫様が利太郎様から聞き取りをされてまとめられたものです。
山口利太郎様 大正7年8月5日生まれ
久保泉小学校、県立神埼農学校のご卒業
①入隊
昭和13年12月1日、兵役入隊が決まり東京の近衛師団第4連隊に入隊することとなり上京することになりました。出征の日は国鉄長崎本線伊賀屋駅まで久保泉村長さんを始め久保泉小学校生徒、婦人会、在郷軍人など村民多数に送られて出発。 父が下関まで同行し下関の旅館で一夜を過ごしました。父とここで別れ、これから初めての一人旅で右も左も分からぬまま東京にたどり着きました。その日は連隊横の青年会館に一夜を過ごし、翌日12月1日入隊、各種検閲のあと近衛歩兵第4連隊第2中隊に配属されることになりました。その頃は満州事変に続き支那事変、軍の青年将校が決起しクーデターを起こした「2.26事件」の2年後で訓練は特に厳しく鍛えられました。また入隊一ヶ月後、代々木練兵場で行われる観兵式参加の為の猛訓練が思い出のひとつです。
②初年兵時代
昭和13年12月1日朝、東京青山の近衛歩兵第4連隊の営門をくぐり第2中隊第2班に編制されました。「中隊長を父、班長を母、2年兵を兄と思ってわからないことは何でも相談せよ。これからは大日本帝国軍人として、上官の命に従い、軍務に精励し国家のために身命を捧げて奉公せよ。」と中隊長の訓示があり、中隊幹部の紹介がありました。いよいよ今日から大日本帝国軍人だと思うと、身の引き締まるのを覚えました。話には聞いていましたが、軍隊に「びんた」はつきもので、三日目には第2班初年兵全員整列、怖い上等兵が「貴様たち、入隊してちやほやされていい気になっていると大間違いだぞ、貴様たちのだらだらしている態度はなんだ、気合を入れてやるから来い」と怒鳴って一番前の直立不動の初年兵の横っ面を力いっぱい往復びんたが飛ぶ。殴られた初年兵は「お世話になりました」と言わなければならない。声が小さいと「声が低い」と怒鳴られてやり直し。「つぎ」と呼ばれて、二番目の兵士が一歩前進、パシッパシッと殴られ、「お世話になりました。」殴る方も7~8人も殴ると手が痛くなるので、他の2年兵に交代して気合を入れる。少しでも顔をそむけたら「貴様、怖いのかーっ。それで軍隊が務まるとおもっているのか」とそれこそめちゃくちゃ殴られる。夜になると初年兵係の上等兵が学課の教育である。教育といっても教えるものではない。軍人勅諭や歩兵操典や陣中用務令、等をどれくらい勉強したか、問題を出して答えさせるのである。答えられないと、銃剣術の木銃で突かれたり、叩かれたりする。午前6時に起床ラッパで飛び起き、営庭に整列点呼をすまし、床上げ、掃除、飯上げ等、朝、食事を食べて食器洗いを済ませると、7時には演習整列、実に目の回る忙しさである。床上げも飯盛りも2年兵の分までしなければならせないからなおさら忙しいのである。2年兵は点呼が終わると朝飯の準備ができるまで、銃剣術の朝稽古である。稽古が終わるころには初年兵は2年兵の洗面具と手ぬぐいを持って「ごくろうさんでありました」と言って防具を外し、ちゃんと整列して内務班に持って行く。二年兵殿は悠々と顔を洗い、準備された食卓につく。三か月目に一期の検問があって、連隊長の検問に合格して一人前の二等兵となる。三ケ月間の訓練は教官と班長と初年兵係上等兵とで徹底して鍛えられる。
「一億人の昭和史より【内務班風景(就寝)】」
私の第2班は小銃班だったので霜柱のたった代々木練兵場で早か駆け、匍匐前進、突撃猛訓練が続いた。霜が解けてくるとまたたいへんだ。匍匐前進で泥んこになる。突撃早駆けは、つるつる滑って走りにくい。遅れでもしたら、初年兵係の上等兵の叱咤と同時に、小銃の銃座で尻をひっぱたかれる。もちろん夜間演習もある。故郷で、のんびりと多少生意気に育った若者も軍隊に入隊したら、このように殴られ、しごかれ、鍛えられて、志操堅固な帝国軍人に仕立てられるのである。
③近衛兵として勤務
一人前の二等兵になって種々の勤務に就くようになりました。近衛兵の任務は、宮城を守衛し天皇陛下を御守護し奉るのが本職であるから、皇居内の要所要所を歩哨、勤哨となって警備するのである。宮城守衛の軍装は、第一装着用でぴかぴかの軍帽軍服である。皇居内十数か所の警備につくのであり、宮城の尊厳をそこなわないよう威儀を正して立哨する。吹上御苑や外庭東門歩哨の夜明けには、皇居内に住み着いた雉が近くまでよってくる。禁猟区だから歩哨を怖がらない。二重橋の前方に見えるのを鉄橋と呼ぶ。ここにも歩哨がたっているが、拝観者には見えない、鉄橋を渡るとお車寄せ、東お車寄せ、北お車寄せ、賢所など立哨箇所があります。歩哨には守則といって異変を見つけた時の取るべき処置を決めた規則があって、歩哨の場所によって違う。天皇陛下、皇后陛下が正式に二重橋を渡られるときは衛兵は軍装を整え威儀を正して整列し、儀仗を勤めるのであるが宮城内で陛下の日常の行動については、何時何分ごろどこそこの歩哨前をお通りになるから目障りにならないよう物陰から警固せよと衛兵所から伝令が来る。巡察と言って歩哨が予断なく警固の任務を果たしているかどうかを観察してめぐる役目である。歩哨係上等兵、下士官、将校が不規則にめぐってくる。戦前、戦中の天皇陛下は神として崇め奉っていたから、近衛兵と言えども、我々兵卒が個人でお目通りなどもってのほか、であります。
近衛第4連隊の靖国神社参拝(前列右から二人目がご本人)
編纂の山口茂夫氏は「戦中戦後に育った私にとって当時の状況をよく知っており、70年前の戦争体験を知らない、忘れがちな現代社会に、敗戦のあのみじめさと戦争で犠牲になったひとびとの体験を少しでも知ってもらい、このみじめさを二度と繰り返さないためにもこのことをよく知って頂くため」と書かれております。









