「松梅オルレ」の目的は
小中一貫校松梅校(澁谷健校長)は、児童・生徒に松梅の歴史について学び、ふるさとの良さを知ってもらおうと、ここ数年「松梅オルレ」と題し、徒歩による松梅史跡めぐりを実施しています。また、このオルレは、班ごとに上級者がリーダーとなり、下級生を引っ張っていくことで自主・自立の精神を養いつつ、児童・生徒間及び地域の人達との交流を深めていくことも趣旨となっています。
今年度のコースは
令和6年度の「松梅オルレ」は、5月2日(木)に実施され、松梅校を出発点とする約5キロのコースで
①弁財天神社(井手原)
②厳島神社(広坂)
③源為朝・行脚僧供養の地蔵(有木)
④石田一鼎住居跡(下田)
⑤下田分校跡(下田)
の各史跡をめぐるものです。 オルレは、中学部3年生を除く60人を超える児童・生徒を4班に分けて開催されました。各史跡の地域コーディネーター(説明者)は、松梅まちづくり協議会松梅学のメンバーや地元自治会長の皆さんが担当し、史跡をめぐるエピソード等について分かり易く説明されました。
開会式の状況
松梅校の小グラウンドに集合し、澁谷校長からのお話や地域コーディネーターの紹介がありました。
弁財天神社
井手原地区の国道263号線沿いにあります。1787年に造立され、奥の岩の割れ目に白蛇が棲息していたという伝説があります。ご利益としては、商売繁盛、農業繁栄などがあるといわれており、5月12日(日)にお祭りがあります。 厳島神社
広坂地区にあります。宗像三女神を祭神としています。神社の前には、樹齢200年の大きなイチョウの木があり、秋にはきれいな黄葉となり、目立つ景観となっています。 源為朝伝説・行脚僧供養の地蔵
有木地区の旧道の山際にあります。高さ80センチの地蔵です。平安末期、源為朝(源頼朝、義経の叔父)は、弓矢の達人であったが、乱暴者であったため、九州に追放されました。八反原地区で射的の練習中、川向うの下田地区の旧道を通っていた行脚僧が流れ矢に当たって死亡したといわれ、村の人が不憫に思って地蔵を建立して供養をしたということです。
班の上級生がコーディネーターの皆さんにお礼のあいさつ 石田一鼎住居跡
「道の駅」大和 そよかぜ館東の下田地区の山際にあります。江戸初期、石田一鼎は、17歳で藩主に「大学」を講義するなど、佐賀藩第一の学者でした。二代藩主・光茂の相談役を勤めていましたが、とあることで光茂の怒りを買い、伊万里に流されました。1669年に佐賀に帰り、やがて下田地区に閑居しました。
閑居を訪れて教えを受ける者も多く、「葉隠」の口述者・山本常朝もその一人であり、「葉隠」の教えの先駆者と言われています。
班の上級生がコーディネーターの皆さんにお礼のあいさつ 下田分校跡
下田地区にあります。1889年(明治22年)に松梅尋常小学校が設立され、その後、名尾、三反田、下田の三校に分離され、1967年(昭和42年)に廃校となりました。 「道の駅」大和そよかぜ館
平成14年10月に正式に「道の駅」大和そよかぜ館としてオープンしました。昼食は、裏の平らな岩場で班ごとにいただきました。
生徒の感想
○ 史跡には、白蛇伝説や矢が当たって死
ぬなど、それぞれに物語があるんだなと
感じることができ勉強になりました。
○ 長い距離だったけど、いい運動になり
ました。