巨勢の史跡等NO.20~修理田神社(熊野権現社)(しゅりたじんじゃ(くまのごんげんしゃ))

巨勢公民館

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≪ ようこそ、巨勢町の史跡、神社仏閣へ≫

 巨勢まちづくり協議会では、令和3年度、町内の史跡等のうち、説明文が読めない老朽化した案内パネルについては更新するとともに、これまでパネルが設置されていなかった史跡等には新たなパネルを設置し、これらパネルにはQRコードを載せて、この「つながる巨勢」のページをご覧いただけるようになります。また、今回パネルを更新しない史跡等についても、現地だけでなく「つながる巨勢」の中で掲載文章などをご覧いただくことができます。さらに、現地にパネルがなくても巨勢歴史マップ(令和3年発行)に載っている史跡等について、「つながる巨勢」の中で取り上げています。


≪「修理田神社(熊野権現社)」について「巨勢歴史マップ」(令和3年発行)の説明文

 「熊野権現」または「権現さん」ともいわれ、祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。この神社は、東西・蔵福坊の宮司田原磐門の祖先である田原伊勢守尚明が、天正7年(1579年)に千本松という所に熊野大権現を勧請したといわれています。この地は、明治の初めまでは千本山・千本松といわれ、多くの松が生い繁り、昼でも暗い所でしたが、明治20年(1887年)に開墾され、現在の姿になり、その記念碑が立っています。また、この地には、玄蕃流の浮立が伝えられています。


≪補足説明~「巨勢の歴史散歩」(平成元年発行)より引用より≫

 東分下の東の端に熊野大権現があって、土地の人々は権現さんとか熊野権現といっている。しかしいつのころか、修理田神社として公式に登録、登記してある。祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冊尊(いざなみのみこと)素戔嗚尊(すさのおのみこと)という。古びた石の鳥居には慶応3年として次のように刻んでいる。(原文は漢文である)「熊野大権現は神なり。例(ためしには)大明神と称すべし。権現と称するはけだし釈氏の加えるところなり。中世還流俗相沿い更にこれを知るなり。高平郷の東に一曲地あり、居民二十余よく力よす。(中略)その他松林に接す。老樹植り森は小山の如し。故に千本山と号す。山中に小祠あり熊野の神と泰安して歳時これを祭る。よりてまたその曲名づけて観音堂という。(以下略)また、民の安楽、無事なるゆえんは神明のたすけにしてしいるべからず。今ここに丁卯父老共にはかって神門を造建し石をもって材となす。その費皆居民よりただし他郷に暮さざるなり。すでになり之に銘す。 吾が門に出入りするは 大賓に見ゆる如し いわんや神の宅す それあえて敬さざらんや 敬もって神につかえる 庶幾は福を降されんことを 世々永延 父老これを過ぎり この銘文をみん」とある。これは、侍、池田惟善の撰するもので施主18名の氏名を刻んでいる。今の人々の曽祖父にあたる人たちだろう。熊野大権現の神主を兼ねていたといわれる、東西の蔵福坊の田原磐門等の由緒提出書によれば、天正7年(1579)田原伊勢守尚明が千本松と申すところに、熊野大権現を勧請したものであるから、千本松の大森は以前からあったものであり、権現堂という地名も熊野権現に因んだものであることは明らかである。千本松は千本山ともいわれ、明治初年までは六反におよぶ大藪で松、樟など天をつくほど生い茂り昼なお暗く大人でも寂しがるほどであったという。その大藪の中に権現社が鎮座されていて、千本山大藪の周辺は狐が多くて、まるで犬が遊ぶようにぞろぞろしていたという。蛇もたくさんおり、狸もいて夜中に家のところに出てきていたずらするので、権現堂の狸と恐れられていたともいう。社地六反は官有地であったが明治19年払い下げられ、明治20年に開墾されたが、その記念碑(昭和7年建設)が境内にたっていて、そのときのようすがしるされている。明治20年に開墾されてできた田4反は地区の共有田として、神社費、地区費にあてており裕福な村であった。しかし昭和21年の農地改革で共有地は許可されず個人所有となったが、山の前、山の裏、山の南、山の北など千本山に因んだ地名が残っている。かつては6月19日の夏祭りはたいへんな賑わいであった。年間の祭りは次のとおりである。・4月19日 ・7月19日 ・天狗祭 9月12日 ・12月の第一日曜日には村をあげての祭りとなる。権現社の左には天満宮がまつられ安政5年と刻まれている。天満宮の鳥居には肥前州佐嘉郡修理田村・・・(途中不明)昭和8年と刻まれているが、理由は不明。右側には稲荷神社があり、江戸時代のものと思われる。神社の前の狛犬には明治40年、夜燈には明治37年と記されていて、舞台もあり地区の人々の信仰のあつさやまつりの賑やかだったようすが伺える。


≪修理田神社(熊野権現社)の動画


巨勢町内の史跡等マップ≫ ➡ 史跡等データベース トップページ


≪巨勢町の歴史探訪コース≫

*巨勢町西部の史跡等を回るコースです。

・しっかりコース(距離4.5㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒②六地蔵 ⇒③元忠寺跡と山王社跡⇒④二木大明神(循誘校区)⇒⑤構口番所跡(循誘校区) ⇒⑥巨勢神社⇒㉗巨勢公民館

・こじんまりコース(距離2.8㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒⑦高尾藤棚跡⇒⑧竈王院⇒⑨高尾お倉跡 ⇒⑩真崎照郷記念碑⇒⑥巨勢神社⇒⑪肥筑軌道高尾駅跡 ⇒⑫小児天満宮⇒㉗巨勢公民館

*巨勢町東部の史跡等を回るコースです。

・たっぷりコース(距離6.0㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒㉑安福寺⇒㉒応永寺跡⇒㉓売茶翁記念碑㉔小田資光の墓⇒㉕八幡宮⇒㉖保食神社⇒⑲地蔵⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑮大神宮⇒⑭戸次塚⇒㉗巨勢公民館

・じっくりコース(距離4.3㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒⑰機械灌漑記念碑⑱二十三夜尊⇒⑲地蔵⇒⑳修理田神社(熊野権現社)⇒㉗巨勢公民館

・さしあたりコース(距離2.6㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒㉗巨勢公民館


≪次の探訪先~コースに沿って≫

 *最終地点 ㉗佐賀市立巨勢公民館(じっくりコース) →巨勢公民館のページ

 


≪参考

 PDF→「巨勢町の歴史散歩」~巨勢町の移り変わり.pdf

 PDF→巨勢歴史マップその1.pdf 巨勢歴史マップその2.pdf