巨勢の史跡等NO.13~法専寺(ほうせんじ)

巨勢公民館

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≪ ようこそ、巨勢町の史跡、神社仏閣へ≫

 巨勢まちづくり協議会では、令和3年度、町内の史跡等のうち、説明文が読めない老朽化した案内パネルについては更新するとともに、これまでパネルが設置されていなかった史跡等には新たなパネルを設置し、これらパネルにはQRコードを載せて、この「つながる巨勢」のページをご覧いただけるようになります。また、今回パネルを更新しない史跡等についても、現地だけでなく「つながる巨勢」の中で掲載文章などをご覧いただくことができます。さらに、現地にパネルがなくても巨勢歴史マップ(令和3年発行)に載っている史跡等について、「つながる巨勢」の中で取り上げています。


≪「法専寺」について「巨勢歴史マップ」(令和3年発行)の説明文

 宗派は浄土真宗本願寺派、山号は撫松山、本尊は阿弥陀如来です。開基は、戦国時代末期の龍造寺隆信の家臣で、牟田寄の豪族池田主馬(法名釋善教)です。主馬は、豊後・大友勢の襲来の際、敵軍多数を討ち取り、敵軍戸次式部大輔などの遺骸を、高尾の東一本松(現巨勢町道崎)に埋めました。これらの功により、主馬は隆信より「御自筆之御感状」と鑓を拝領しましたが、敵味方の菩提を弔うために出家し、法専寺を建立しました。戦国時代のものと思われる「天下一富多山城守」の銘がある鎧鏡が伝わっていたといわれていましたが、現在は残っていません。明治38年(1905年)に落雷で本堂が全焼し、現本堂は明治43年(1910年)に再建されています。


≪補足説明~「巨勢の歴史散歩」(平成元年発行)より引用

 浄土真宗本願寺派で撫松山法専寺と称し、本尊は阿弥陀仏立像である。この寺は永禄年間池田主馬(法名善教)の開基とされている。その由緒について伝えるところでは、主馬は牟田寄の豪族で、その昔、大友勢の乱入の際、佐賀の領主龍造寺隆信に従い、一族100余騎を率いて軍に加わり、豊後勢を巨勢野に破り、敵将臼杵式部少輔以下多くの敵兵を破り大功を立てたが、功にたいして恩賞のとき考える所があって、領主隆信にこうてこの寺を建てたという。鍋島初代藩主勝茂のときから、南無阿弥陀仏の六文字になぞらえ、御切米六石を下賜されている。また、当時の大友勢の将の鎧や鏡が当寺に残っているという。


≪法専寺の動画


巨勢町内の史跡等マップ≫ ➡ 史跡等データベース トップページ


≪巨勢町の歴史探訪コース≫

*巨勢町西部の史跡等を回るコースです。

・しっかりコース(距離4.5㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒②六地蔵 ⇒③元忠寺跡と山王社跡⇒④二木大明神(循誘校区)⇒⑤構口番所跡(循誘校区) ⇒⑥巨勢神社⇒㉗巨勢公民館

・こじんまりコース(距離2.8㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒⑦高尾藤棚跡⇒⑧竈王院⇒⑨高尾お倉跡 ⇒⑩真崎照郷記念碑⇒⑥巨勢神社⇒⑪肥筑軌道高尾駅跡 ⇒⑫小児天満宮⇒㉗巨勢公民館

*巨勢町東部の史跡等を回るコースです。

・たっぷりコース(距離6.0㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒㉑安福寺⇒㉒応永寺跡⇒㉓売茶翁記念碑㉔小田資光の墓⇒㉕八幡宮⇒㉖保食神社⇒⑲地蔵⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑮大神宮⇒⑭戸次塚⇒㉗巨勢公民館

・じっくりコース(距離4.3㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒⑰機械灌漑記念碑⑱二十三夜尊⇒⑲地蔵⇒⑳修理田神社(熊野権現社)⇒㉗巨勢公民館

・さしあたりコース(距離2.6㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒㉗巨勢公民館


≪次の探訪先~コースに沿って≫

 *⑭戸次塚(じっくりコース、さしあたりコース共通) →戸次塚のページ

 


≪参考

 PDF→「巨勢町の歴史散歩」~巨勢町の移り変わり.pdf

 PDF→巨勢歴史マップその1.pdf 巨勢歴史マップその2.pdf