巨勢の史跡等NO.11~肥筑軌道高尾駅跡(ひちくきどうたかおえきあと)

巨勢公民館

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≪ ようこそ、巨勢町の史跡、神社仏閣へ≫

 巨勢まちづくり協議会では、令和3年度、町内の史跡等のうち、説明文が読めない老朽化した案内パネルについては更新するとともに、これまでパネルが設置されていなかった史跡等には新たなパネルを設置し、これらパネルにはQRコードを載せて、この「つながる巨勢」のページをご覧いただけるようになります。また、今回パネルを更新しない史跡等についても、現地だけでなく「つながる巨勢」の中で掲載文章などをご覧いただくことができます。さらに、現地にパネルがなくても巨勢歴史マップ(令和3年発行)に載っている史跡等について、「つながる巨勢」の中で取り上げています。


≪「肥筑軌道高尾駅跡」について「巨勢歴史マップ」(令和3年発行)の説明文

 巨勢地区には、大正時代末から昭和初期にかけて軌道(軽便鉄道)が、高尾駅を起点として犬尾駅や蓮池駅を経由し、千代田の崎村までの6.7kmを通っていました。大正6年(1917年)、真崎照郷などが発起人となり肥筑軌道株式会社を設立し工事に着手、第一次世界大戦で物価が上がり一時中断しましたが、大正11年(1922年)に再開し翌年に竣工、営業を開始しました。2両編成の車両に蒸気機関車がついていて、ヒョーッという汽笛を鳴らし走っていました。この軌道は福岡県の久留米まで延長される予定でしたが、第一次世界大戦後の不景気で経営困難となり昭和10年(1935年)頃廃止されました。


≪補足説明~「巨勢の歴史散歩」(平成元年発行)より引用

  巨勢地区には大正末から昭和初期にかけて軌道が通っていた。県東部からの要請もあって大正6年真崎照郷などを発起人として肥筑軌道株式会社が設立され、大正6年工事に着手したが、第一次大戦で物価の値上がりがひどく、その上人手が不足したので工事を一時中止したが、大正11年3月第一期工事として、「高尾より崎村」までを再開、大正12年5月15日施工、24日営業開始。始発駅は「ますだストアー」の南西の所にあって、二両編成の車両に機関車がついてヒョーッという汽笛を鳴らし牛島、西分、東西、東巨勢、蓮池、千代田へと線路を走っていた。この軌道は久留米まで続く予定だったが、不景気などで資金が続かず経営ができず倒産し昭和9年ごろまでで廃止された。今は巨勢川岸や「ますだストアー」の南のクリークに鉄橋の橋脚の石垣が残っている。


≪肥筑軌道高尾駅跡の動画


巨勢町内の史跡等マップ≫ ➡ 史跡等データベース トップページ


≪巨勢町の歴史探訪コース≫

*巨勢町西部の史跡等を回るコースです。

・しっかりコース(距離4.5㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒②六地蔵 ⇒③元忠寺跡と山王社跡⇒④二木大明神(循誘校区)⇒⑤構口番所跡(循誘校区) ⇒⑥巨勢神社⇒㉗巨勢公民館

・こじんまりコース(距離2.8㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒⑦高尾藤棚跡⇒⑧竈王院⇒⑨高尾お倉跡 ⇒⑩真崎照郷記念碑⇒⑥巨勢神社⇒⑪肥筑軌道高尾駅跡 ⇒⑫小児天満宮⇒㉗巨勢公民館

*巨勢町東部の史跡等を回るコースです。

・たっぷりコース(距離6.0㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒㉑安福寺⇒㉒応永寺跡⇒㉓売茶翁記念碑㉔小田資光の墓⇒㉕八幡宮⇒㉖保食神社⇒⑲地蔵⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑮大神宮⇒⑭戸次塚⇒㉗巨勢公民館

・じっくりコース(距離4.3㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒⑰機械灌漑記念碑⑱二十三夜尊⇒⑲地蔵⇒⑳修理田神社(熊野権現社)⇒㉗巨勢公民館

・さしあたりコース(距離2.6㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒㉗巨勢公民館


≪次の探訪先~コースに沿って≫

 *⑫小児天満宮(こじんまりコース) 小児天満宮のページ

 


≪参考

PDF「巨勢町の歴史散歩」~巨勢町の移り変わり.pdf

PDF→巨勢歴史マップその1.pdf 巨勢歴史マップその2.pdf

リンク→肥筑軌道に関するデータ (鈴木商店記念館ホームページ)

 (鈴木商店記念館様のホームページにリンクしております。なお、このサイトでは、「記念館のご利用について、免責事項、著作権・肖像権、引用・リンク、個人情報保護について、ご理解とご協力をお願いいたします」とされておりますので、ご参照の際は、よろしくお願いいたします。)

参考記事肥筑軌道の情報が筑後川新聞に掲載されました

参考記事2→肥筑軌道跡を訪ねて