巨勢の史跡No.14《戸次塚》

巨勢公民館

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戦国時代、元亀元年(1570年)4月に、豊後の大友宗麟は佐賀の龍造寺氏を攻めてきました。大友の武将戸次鑑連との巨勢の戦いは、鍋島信昌(後の直茂)らの奮戦で鑑連の軍は敗走しました。同年8月の川上・今山の戦いでは、大友方の総大将大友八郎親秀(親貞)は討ち取られ、龍造寺軍の大勝となりました。今山の大友軍は敗走しましたが、神埼郡の姉・境原の軍勢は退却せず、臼杵式部大輔の軍勢は、巨勢・高尾まで攻めてきました。この戦いも龍造寺軍の勝利になりました。巨勢・高尾の戦いでの戦死者を道崎に葬ったのが戸次塚です。以前、戸次塚は264号線の北側にありましたが、焼原川の河川改修により、南側の現在の場所に移されています。

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