巨勢の史跡No.17《機械灌漑記念碑》

巨勢公民館

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水田の灌漑方法としては、以前はどこも踏み車が使用されていましたが苦労が多かったようです。大正10年(1921年)に、この地区に東分耕地整理組合が組織され、佐賀県初の機械灌漑施設が取り入れられました。最初はディーゼルエンジン、その後、石油発動機やガス発動機によるポンプが導入されましたが、いずれも失敗や不便さがありました。大正12年(1923年)、牛島の真崎鉄工所の協力もあり、電力揚水ポンプが導入されました。こうした電気機械灌漑は佐賀平野のみならず県内外にも広がり、日本の先駆けとなったのです。

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