巨勢の史跡No.24《小田資光の墓》

巨勢公民館

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応永34年(1427年)小田直光は蓮池の地に下って来て城を築きました。蓮池城(小曲城)は佐賀江などの自然の要害によって難攻不落といわれました。直光の4代孫の資光(覚派)は、龍造寺氏と対立しながら、有力な在地領主として勢力をのばしました。豊後の大友氏の佐賀攻めで、小田氏は大友氏に味方しますが大友氏は敗れて小田氏は龍造寺氏の軍門にくだりました。その後、龍造寺氏の勢福寺城攻めで小田政光(資光の孫)は戦死し、その喪中に龍造寺氏により蓮池城は攻め落とされました。当時、隠居していた資光はその落城を見て憤り自害しました。資光の墓は、蓮池の徳恩寺にありましたが、のちに龍津寺に移されました。墓の前には小田氏の業績を讃えた塔が立っています。

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