今回は、夏に取材した地域行事の振り返りの配信です。
8月3日(日)、北川副公民館で戦後80年事業としての平和集会「語り継ぐ平和のバトン~80年の時を超えて平和の願いを次世代へ~」が北川副まちづくり協議会の主催で開催されました。はじめに北川副まちづくり協議会の福田会長のあいさつがあり、「自分は昭和16年生まれ。戦争の記憶はほとんどないが、当時諸富に住んでおり、祖母に連れられて避難した記憶がある。当時3~4歳だったが、その時の空が真っ赤だったことを覚えている。戦後は食糧難の時代も経験した。戦争の悲惨さを次の世代へ語り継ぐことが我々の責任ではないかと思う」と話されました。
佐賀市が空襲被害に遭った時の戦争体験者の証言をまとめた冊子をもとに作成された「くすのきは見ていた」という紙芝居があります。戦争の記憶を語り継ぐため、北川副では長年にわたり佐賀空襲を語り継ぐ会のみなさんがその紙芝居を使った語り部活動を継続されてきました。この度、戦後80年という節目に語り部活動のバトンを次の世代へつないでいこうと、北川副まちづくり協議会守り伝える部会で内容の一部をリニューアルし、新たな語り部として佐賀清和高校放送部のみなさんに平和のバトンが渡されました。


この日、北川副公民館には地域住民など約100名の方々が集まり、佐賀清和高校放送部による「くすのきは見ていた」の朗読をはじめ、佐賀新聞社の大田浩司記者による「戦後80年さが」のレポート、そして佐賀空襲を語る会のみなさんによる女性が綴る戦争体験記「苦難の道」を抜粋した朗読を聞いて平和への思いを募らせました。
「くすのきは見ていた」の朗読では、1945年8月5日23時~8月6日1時頃、佐賀市上空に爆撃機B29が65機隊列を組んで飛来し、焼夷弾など2,200発の爆弾を落としたこと、焼夷弾とは大きな弾頭にナパーム弾などの小さな弾頭を38個詰めたもので、投下後にバラバラと落ち、家に突き刺さり、火事を起こすものだということ、北川副や諸富など佐賀市南部を中心に443戸が焼失、死者が61名もいたこと、住民が橋や土手の下の用水路や公園などに必死に避難する様子、まちが爆弾により次々と燃えていく様子など、佐賀清和高校放送部のみなさんがゆっくり、はっきりした口調で、セリフは感情をこめて朗読され、当時の情景が目に浮かぶようで臨場感があり、集まった人たちは真剣に聞き入っていました。


戦後80年の現在に至るまで、二度とあんな思いをしないようにと戦争の悲惨さを伝え続け、当時の辛い経験を話してくださっている方々の思いを次の世代に伝え続けることはとても重要なことだと思います。今回その平和のバトンを受け継いだ佐賀清和高校放送部のみなさんは、未来につながる重要な役割を担われました。朗読を行った2年生の方は報道局のインタビューで「佐賀空襲についてこれまで何も知らなかった。自分たちの地域で起こったことを多くの人に知ってほしいと思ったし、自分自身ももっと勉強しなければと思った」と話されています。次の世代に伝えるうえで必要なことは、まず知ることだと思います。私自身も、学校で行った平和学習で満足するのではなくできる範囲で知り続け、いつまでも平和が続くことを祈り続けたいです。
※「くすのきは見ていた」(朗読 佐賀空襲を語り継ぐ会)は佐賀市公式YouTubeに掲載されています。
※北川副公民館では、実際に佐賀空襲で落とされた焼夷弾の弾頭を見ることができます。
佐賀市教育委員会社会教育課
子どもへのまなざし運動・若者支援推進室
子どもへのまなざし運動推進コーディネーター 北村
~できる人ができる時にできる範囲で~
★子どもへのまなざし運動 推進中!★



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